教育審議会ばか

こういうときには「ばか」って言ってもいいと思うんだ。


 この文書は2004年6月に書かれたものだが、 愛国心を教育しようなんて馬鹿な議論はすぐに収まるだろうから、 そんなに過敏に反発する必要もないか、と考えて発表を見送ったのだった。  しかし最近、また懲りずに愛国心についての議論が再燃してきたようなので、掘り出してきた。


 教育審議会は一体何を話し合っているんだ。
「愛国心」はイメージが悪いから
「国を愛する心」にしようだとか、
「たくましい」では経済的自立だけを意味しそうだから
「心豊かで」を頭につけようだとか・・・。

・・・・。  ばか。



 この議論が子供の教育の何の役に立つというのか。
「こうなって欲しい」という展望がないんじゃないか?
 子供に希望を託さないような親は駄目だ。
 これは子供に希望を押し付けるという意味じゃないぞ。

 俺は次の世代に期待も注文もある。希望を持っている。

 愛国心なんて、教育するものじゃない。
 愛せる国になるように自分に何が出来るかを考えさせるべきだ。

 俺は次の世代には交渉上手になって欲しい。
 バカは望まない。 騙され屋も要らない。
 騙される悲しみを経験して欲しくない。

 交渉上手になって人より優位に立ってくれなんて、
そんなつまらない事など望んではいない。
 自分の利益だけでなく、相手にとっても利益となるような提案をし、
行動を引き出す人になって欲しいのだ。

 戦争を起こすときは一気に他国へなだれ込むのに、
なぜ地雷撤去をするときには「相手の自治権」うんぬんを
考慮して慎重になるのだ?
 戦争を仕掛けるような覚悟でなだれ込んで、
後は何も望まずにさっと引き上げてやればいい。

 世界平和のコストは戦争と比べればはるかに安い。
 欲張った金持ちのリーダたちをなだめるためのコストが異常に高くつくだけだ。
 世界平和を存続させること自体がビジネスになれば彼らの気も変わるだろうになぁ。
(現在の日本の平和なんかはビジネスのために作り出された一時的な状態に過ぎない。)

 他の国のために役に立っているという自覚があれば
愛国心は一気に高まるだろうよ。

 これからの世界には人のために働けるような子供たちが欲しいのだ。
 リーダーシップをもって欲しいのだ。

 リーダーシップは一部の指導者のためのものではなく、
あらゆる人にあらゆる分野で必要な特質なのだ。
 え? 誰もかも全員がリーダーになることが現実的じゃないって?

 リーダーシップを誤解してはいけない。
 良いリーダーは他のリーダーを育てる。
 そして団体行動の原則をよく理解しているが故に
正しい原則に対しては良く従う人でもある。

 だから「良いリーダー」が沢山いたとしても
「船頭多くして船、山に登る」
なんてことには決してならないのである。

 古代の預言者モーセの従者であったヨシュアは、
モーセ以外の人が預言しているのを聞いてそれに嫉妬し、
それをやめさせるようにモーセに訴えた。
 その時のモーセの返事はこうだ。
「私の民が皆、預言者になるのは願わしいことだ」(民数記11:26-29)

 世界を支配する必要はない。
 世界が必要とする人、国となれ。
 これが私の希望だ。


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