俺が俺になった理由

 俺が俺であるために・・・


 その後、私がどう変わったのか。  高校の時の話と比べれば、人に聞かせるにはそれはあまりにも退屈な話であろう。  しかし、私にとっては最も大事な時期であったのだ。  私は、今では「トンデモ本」と分類されるものを、片っ端から収集していった。  誰が本当のことを語っているのか、誰が誰の著作を信じて孫引きしているに過ぎないのか、 誰が騙されているのか、誰が妄想を作り出しているのか、誰がふざけているのか。  誰が一儲けしようと企んでいるのか、誰がそれを利用して人を操ろうとしているのか。  自分はこれらの人々の中で、あるいはそれを冷ややかに嘲笑う人々の中で どのような位置にいるのだろうか。  そう、自分が体験してきたことも、これらのトンデモ的な人々のよくある話の中の一つとして 埋もれてしまうものなのだろうか。  「集団狂気」という言葉で片付けられてしまうものなのだろうか。


奇妙な論理

 マーチン・ガードナー著「奇妙な論理」。  よく疑似科学者に対して引用される名著である。  私も高校の頃からこの本を読んで大いに楽しませてもらった。  この本に載っていることは正しい。  確かに世の中はこの本に載っているような変人で一杯だ!  しかし、俺は思う。 「俺だけは違う。」  しかし、みんなそう言うものだとこの本にもある。  すると、今まで俺が読んで「その通りだよ!」と笑っていた対象に実は自分自身も含まれているのか。  まさに奇妙な論理に取り込まれてしまった。  人がトンデモか、そうでないかを区別できるのに、 自分自身がどちらに属しているのか分からないのである。  「自分は違う!」と主張するほどそれらしくなってしまう矛盾。


トンデモハンターEMAN

 人の話を読んでいても埒があかない。  本や雑誌の情報はみんな孫引きで信用ならない。 嘘つきや騙され屋があまりにも多すぎる。  この頃から、俺は少しでも可能性があることなら自分で試してみることにした。  食費を極限まで削って、安い食パンをかじりながら、実験に打ち込んだ。  近くの工場や業者を巡り歩いて必要な道具は自分で調達、設計した。  自分の手と目で確かめること。 これが科学のやり方じゃないか。  そして、本当に世の中は嘘つきと騙され屋が多いことに失望した。


 自分の中に矛盾を抱えていることは理解している。  なぜなら、私は私たち自身が使っていた「能力」についてはいまだに調べていない。  かつて自動改札に影響を及ぼすほどの磁気を検出しようと 高性能の磁気検出器を作るのに没頭した時期はある。  しかし、あるときに、ふと困った。  「あの能力を俺自身はまだ使えるのだろうか?」  そして私はあの忌まわしい能力を二度と使いたくなかった。  人に使わせたくもなかった。  人を何ら高めることのない、理由を見出せない能力。  それがわかるまで私はこの能力を永遠に渡ってでも封印したい。  お互いに語るのをやめた理由・・・この能力は人格を高めない。


 反重力も、ワープ航法も、それを裏付ける理論はまだこの文明にはない。  なければ作ってやる。  素粒子論を学ばなくては。  それを越えないで何が出来るものか。  私は「トンデモ」や「オカルト」を振り切った。  それがある事実は否定しない。  不思議なことが起こりうることも知っている。  全てが現代科学で割り切れるものでないことも承知している。  それは我々の科学がまだ未熟なだけだ。  多くの若者がこれからも騙されて、心に同じ傷を負うことだろう。  しかし、我々は科学的手法という頼りがいのある道具を手に入れた。  それを発展させてゆくことが我々の使命である。 科学は生まれたばかりでまだまだ未熟だ。  真実を自分の目で見極めるのだ。  科学を信じるな。 科学は使うものだ。 自分で考えろ。 人に騙されるな。  さらば、少年時代。  熱に浮かされた嵐の日々よ。


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