俺のテッカマン

20年以上前に観たきりなので妄想が膨らんでます。
ここの内容を信じないように。


 俺は単なる言葉を合わせただけの「駄ジャレ」は軽蔑するが
ちゃんとした2つの意味をかけているのは「しゃれ」として高く評価する。

 「テッカマン

 それは中世の鎧「鉄仮面」と「テクノロジー」をかけた名前であって 意味がちゃんと通っている。 「Tekka-Man」ではなく、「Tech-a-Man」と表記すべきだろう。 「ゼンダマン」などの駄ジャレとはレベルが違うのである。


 あの作品には発展途上国にしか作り出せない情熱がこもっている。  そう、当時の日本はまだ発展途上国だったのだ。  敵は宇宙から地球に侵略に来た「先進国」ワルダスターだ!  それに引き換え、地球側は地球の引力をやっとのことで振り切ることが 出来たばかりの「発展途上国」である。

 この技術格差をどうやって戦うのだろうか。

 なんと地球には彼らが持っていない新技術「テックセッター」があった。  技術だけでは適わない分、肉体とテクノロジーを融合させることで 自らを武器として戦うのである。  先進国は後進国を馬鹿にしているためこのことの重要性に気付いていない。  ああ!なんということだ。  技術に頼る先進国が、未開の地に住むターザンに次々としてやられるという構図だ。

 ところが、この「テックセット」技術は未完成であり、 波長の合う人間でなければ死んでしまうのである。  ああ、なんという素晴らしい設定だろう。  ヒーローはこういうピンチの中で生まれるのである。
 愛国心に燃える我らがヒーローは博士の制止にも関わらず、 この未完成の技術にチャレンジする。  そう、波長の合う人間を探したのではない。  母星の危機を黙って見ていることが出来ず、 命をかけて装置に飛び込んだ彼こそが、偶然にも 世界が求めていた人物だったのだ。

 この変身シーンが凄まじい。  変身のたびにこれほど苦しまなくてはならないのか、と 思わせるほどの痛々しい光景なのである。  テレビを見ている子供たちは、 これを見て愛国心、自己犠牲、人々への愛、忍耐、といった徳の数々を 心で受け止めるのである。  薄っぺらな台詞では語られることのない、 「真のかっこ良さ」がどこに存在するのかを見抜くのだ。

 一度宇宙に出れば彼の台詞はない。  最近のアニメの主人公のように躊躇して独り言を言ったり、 勝ち誇ったりはしない。  彼は戦闘マシーンと化して戦うのみである。  彼の咆哮が虚空の宇宙にこだまする。  ここで子供たちは宇宙の厳しさ、絶望的な広さを体感するのだ。  俺はこのシーンを思い出すたびに喉の奥から 声にならないうめきを上げたくなるほどの切なさに襲われる。

 一方、戦っているのは彼一人ではなかった。 地球軍もやっとのことで敵の「リープ航法装置」を奪うことに成功する。  これこそが敵が地球まで来ることを可能にしている力であり、 この装置の謎が解けたとき、地球側はようやく彼等と対等の立場に立てるのである。  自ら開発したのではなく「奪った」という辺りが消極的だが、 これが現実というものだ。  しかし「宇宙後進国」である地球にはこれを理解する力は無い。  何しろ、心臓のようなものが中でドクドクと動いている生物的な装置なのだ。  研究班の必至の努力は続く。  物語の中で徐々にそれを制御する方法を見出してゆくのである。  これこそが科学!これこそが努力の形なのだ。

 かつてワルダスターに母星を滅ぼされた生き残りの異星人も登場する。  その名も「アンドロ梅田」。  なぜに日本の姓を持っている?  そんなことはまあよい。  エキゾチックで良いではないか。
 主人公と彼の二人は、どうしてそこまで?と思うほどによく喧嘩する。  ぼこぼこに殴り合う。  この「暴力シーン」は教育的に良くないだろうか?  いいや!  これを見ている子供たちはこれを真似しようとは思わない。  なぜなら、非常に痛そうであり、 しかも喧嘩する姿は子供から見ても実にみっともないのである。  血の気の多い若者たちは、しかし、こうした衝突を 繰り返しながら徐々に友情を深めてゆく。

 そして最終回、テッカマンは死ぬ。
 地球の未来を賭けてやっとのことで完成させたリープ航法装置。  その初の航行テスト中に、あろうことか敵の軍団が襲来する。
 テッカマンは実験機を守るため、 肉体の限界から定められた変身のタイムリミットである33分を越えても、 なおも戦い続ける。  そして戦いのさなか、彼は彼方に光に包まれて消える実験機を見届ける。  実験は成功したのだ。
 そして彼は戦いの中で息絶える。  最後に映し出されるのは宇宙を静かに漂う彼の姿だった。

 彼と共に一つの時代が終わった。
地球は一人の英雄を失ったが、確かに新しい未来を迎えたのだ。

 おお!書いていて涙がとまらねぇ。  (後で調べたら嘘ばっかりだったが。)


ついでの話

 俺の中ではそんなテッカマンが生きているので リメイク版である「テッカマン・ブレード」などは到底認められない。  どこを取っても気が滅入るだけだ。  すでに侵略されて、守るものを失った世界。 占拠された、かつての科学の象徴である「軌道エレベータ」。  うじうじと悩むだけで這い上がってこない軟弱な主人公。  世界の命運を不真面目なオカマに頼らなければならないのはあまりにも情けない。

 一体何に希望を託せばいいんだ?  観ていて、こんな世界など滅びてしまえ、と思ったりした。  たかがアニメだと放置していてはいけない。  アニメが良くも悪くもどれだけ子供の心を教育しているか考えてみるがいい。  アニメの質によってこれだけ受けるものに差があるのだ!

 もてはやされている「ポケモン」にも危機を感じているのだが それはまたいつか語ろう。


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