日、没する処のチューター

私の自慢話には目をつぶって下さい


 院生の頃、指導教官の勧めで大学のチューター制度を 助けることになった。  大学に雇われて、 学部の留学生に物理を教えるというものである。

 私の教え方について留学生たちからの評判は良かった。  彼らはこんな感想を率直に話してくれた。

 教授の講義より遥かに分かりやすい。  大学は私たちのために わざわざ凄腕のチューターを付けてくれたに違いない。  とても感謝している。

 私は「いいや、誤解だな」と思いながら聞いていた。

 「ところでもし失礼なら言わなくてもいいのだが、 この仕事で一体いくら貰っているのだ?  いや、誤解しないでもらいたい。  実際に知りたいのは、大学は私たちのために どれだけ多くの額を払ってくれているのか、ということだ。」

 私は彼等をがっかりさせないために言わない方がいいのかなとは思ったが、 あまり熱心に尋ねるのに対してわざわざ隠す理由も思いつかなかった。  私の時給は1000円であった。

 中学生や高校生に教えるのに比べて 遥かに専門技術が求められる仕事であることを考えれば この給料は確かに安かったし、不満もあった。  しかし大学に来たついでに出来る気楽な仕事であるし、 自分の教え方の技術を向上させたり、 彼等から国際的な話を聞けるという利点もあったので楽しんでやっていた。

 しかし彼等はその値段を聞くと私の代わりに憤慨した。

「それは私のアルバイト料より安いよ」

 彼等の日本語は大したものだった。  学問への熱意は日本の学生を遥かに越えて光を放っていた。  彼等は現地語の他、中国語、英語をこなし、 今さらに日本語を彼等の辞書に付け加えようとしていた。 (中国語で物理の基礎を学んだようで、 日本では「核子」は原子核の意味ではないというのを 納得させるのに苦労した。)

 彼等が日本で稼ぐアルバイト料は 現地で家族を養うのに十分なのだそうだ。

 ある日私が国民年金について愚痴をこぼすと、 共感して驚いてくれたので気分が良かったが、 すぐ後に付け加えた言葉を聞くと、その気持ちを通り越してしまった。

「うそ?そんなにも?! ・・・ 一年に?」

 私はため息をつきながら 「いや、・・・一ヶ月だよ」 と言うと彼等は目を丸くして言葉を失っていた。

 彼等の国では老後は保障されているし、 医療費は特別に高度な治療を 受けるのでなければ基本的に無料なのだという。

 彼等が日本に来て驚いたのは大学の設備の貧弱さだそうだ。 (申し訳なさそうに語ってくれた。)  彼等の高校の写真を見せて貰ったが、 そこには高級スポーツジムのような体育館が写っていた。  これは体育館のほんの一角であるらしい。  大学本体は当然もっと立派なのだ。

 私はわざわざ日本に来てしまった彼等を不憫に思った。  彼等が目標にしていた金持ち国、日本の実情はこのようなものなのだ。

 彼等の国の学生の大半は 国費で海外に留学に出ているらしい。  国の方針がそのようになっていて、 人材こそ宝なのだそうだ。  幾らかが戻ってきて国に貢献してくれればいいのだという。

 自分たちが国に期待されていることを自信を持って言える彼等。  そんなお国自慢を出来る彼等がうらやましかった。  前途有望な国の前途有望な若者たちを見て、自分がちっぽけに思えた。  彼等を教えている立場にあるにも関わらずだ。

 それでも、これから発展しようとする国のために ほんの少しでも役に立てたことについては光栄に思った。









 最近ではインターネットのお陰で多数の国の統計資料が 簡単に手に入るようになった。  それで、彼らの国がどれだけ素晴らしいかについて調べてみた。

 うーん・・・そんな立派な国はどこにあるんだ?  この統計を見る限り、彼らが語るほど楽天的ではないようだ。

 くそぅ! あやつら、やはり、
 華僑のボンボンだったか!!!



 この文書は元々は2002年夏ごろに、日本人全体の気持ちが急激に落ち込んだ時期があって、 日本の政策批判のつもりで書いたものである。  しかし自慢話が過ぎるので発表を自粛。
 その後、2003年夏頃、ネット全体のコンテンツが充実するに伴い私の視野も広くなり、話にオチも付いた。  今度は批判としてではなく、馬鹿な笑い話として記事を公開することを再び検討。  ところがこの頃から中国などへの批判がネット上に広がり始めた。  私がその流れに乗じてこんなことを書いたのだとは思われたくなかったので、再び封印。

 2007年に入って、流行としての他国への批判は薄れ、 落ち着いた視点での批判が増えてきたようでもあるので、静かな気持ちでこれを発表する。

 今さら出す目的は?  これはちょっと思い入れのある文章でもあり、 「若かった私の浅さ」の記録が若者たちの資料になることもあるのではないかと思うからである。  私はずっと残せるような記事を書きたいのであり、 時流に乗っただけの記事をあまり書きたくないのである。


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