「撃力近似」批判

エネルギー保存は結果として満たされているだけである。

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学校で教えられるのは撃力近似である

 我々は衝突の問題が出されたときには、強力な武器である「運動量保存則」と「エネルギー保存則」を当てはめて解くように訓練されてきた。しかし、この 2 つの法則が満たされるのは結果であることを忘れてはならない。エネルギー保存の法則と運動量保存の法則を満たさなければならないからこのような衝突が起こるのではなく、衝突の複雑なやり取りの結果、そのような条件が満たされる動きをするのである。

 何も考えずに「お決まりのやり方」に慣らされてしまうとあたかも衝突する物体同士が互いに 2 つの条件を満たす速度を「探し出して」、ある決まったエネルギーの塊を「一瞬のうちに」交換しているような錯覚に陥る。

 量子力学には似たような考え方があって、仮想光子と呼ばれる存在は一時的にエネルギー保存を満たしていなくても許されており、考えられるあらゆる状況の中から最終的にエネルギー保存の法則を満たす状態だけが「選ばれる」とする。このような説明を聞いて、ぼんやりと、マクロにも同じような事が起こっているのだろうか、と類推し始めるともっと悪い。

 学校で教えているのは、衝突のまさにその瞬間に一度にエネルギーと運動量が交換されると考える「撃力近似」と呼ばれる方法であって、衝突の途中の複雑な過程をひとまとめにして省略しているのである。


では実際には何が起こっているのだろうか

 静止している物体 A に、もう一つの物体 B がぶつかってきた状況を考えよう。この二つは離れている時には力を及ぼし合わないが、原子スケールまで近付くと次第に表面の電子同士の斥力が働き始める。すると、静止していた A はその力でゆっくりと動き始める。また、B の方も徐々に減速を始めるが、弱い力ではなかなか止まらず、さらに A に接近する。すると、互いの間にはさらに強い斥力が働くようになり、A は強く加速され始める。また B の方は強い減速を受けることになる。やがて A の速さが B が追いついてくる速さに勝つようになるとお互いの接近は終わり、離れ始めることになる。そして十分に離れると、力は弱まりついには全く力が働いていないと考えても良いくらいになる。これで、衝突現象は終わりである。
(注意:厳密には、荷電粒子が加速を受けると電磁波を放射するのでもっと複雑な過程があることが考えられそうである。)

 この過程の間、つまり、衝突が始まってから終わるまでの間に本当は両方ともある程度元の位置から移動しているのであるが、この時の移動距離は原子スケールで測られる程度なので、人間の視点から見れば、移動していないものとみなして差し支えない。(注意:物体が変形を受けるような場合、大抵そうなのだが、スケールはもっとはるかに大きなものになる。それでも小さい距離で起きたと考えていい程度であることが多い。)つまり、衝突は一瞬で起きたと考えるのである。これが撃力近似である。


エネルギー保存は本質ではない

 このような衝突の問題を扱う時に、エネルギー保存則は大変有用な道具ではあるが、それが本質であると考えるべきではない。確かに、この法則はミクロな衝突過程のどの瞬間においても厳密に成り立っている法則ではある。しかし「エネルギー」というのは、計算しやすいように、常に保存するように工夫された人工的概念なのである。実際に存在しているのは、お互いの間に運動量が「変わらぬルールに従って」交換されているという事実だけである。