ポテンシャルエネルギーの正体

ポテンシャルエネルギーはどこに蓄えられているのだろう?

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もともとの疑問

 このサイトを作り始めた頃にはまだ、エネルギー保存則が独立した宇宙の基本法則だと信じ込んでいた。それでポテンシャルエネルギーとは何なのか、ということが理解できなくて、次のような疑問を「力学のまとめ」の中で述べていた時期があった。

  • 高いところにある物体はそれだけでエネルギーを持つ。それはなぜか?
  • 高いところにあって、位置エネルギーを持っている状態にあるとき、一体その物体は普通の状態と何が違うのであろうか?
  • ポテンシャルエネルギーはどういう状態でどこに蓄えられているのであろうか?

     以下でこれらの問題について考えていこうと思う。


    考察

     そもそもポテンシャルエネルギーというのは、力を及ぼしあう 2 つの物体の間の関係を表したものである。上の疑問のように、持ち上げられた物体の側だけにそのエネルギーが蓄えられていると考えるのは変である。両者の関係の中にこそポテンシャルエネルギーの本質が隠されていそうである。

     では、両者の間にどのような形で、そのようなエネルギーが存在しているのだろう?

     例えば、空気を詰めたシリンダーを考える。このピストンを押すとき、空気の弾力があり、そのときに要する仕事をポテンシャルエネルギーの形で記述することができる。しかし、この時の仕事はシリンダーの中の空気の分子運動のエネルギーに変換したのであって、この場合のポテンシャルエネルギーは実は空気分子の運動エネルギーを表しているのである。

     しかし、これと同じようなことが重力についても言えるだろうか?物体を高く持ち上げる時、そのエネルギーは物体と地球の間で重力を伝えるグラビトンの運動エネルギーに転換しているとでもいうのだろうか?

     ポテンシャルエネルギーを何か別のものの運動エネルギーとして扱うことが出来れば直観的で非常に分かりやすいし、相対論の「エネルギーと質量は等価である」という内容を説明するのにもとても好都合である。運動している物体の質量は増大するということを説明すればいいだけである。そうでなければ、ポテンシャルエネルギーさえも「質量」に関係していることをどうやって説明したらいいだろうか?

    注: ここでは「運動する物体の質量は増大する」と書かれているが、これは現在では誤った表現だということになっている。しかし何十年もの間、この考えは啓蒙書や科学漫画によって一般大衆に繰り返し伝えられ、半ば常識となっていた。そして私もこの記事を書いていた時点ではそのように信じていた。

    今ではもう若い人には信じてもらえないかも知れないが、私がこのサイトを立ち上げた頃、ほんの数年前まではまだその考え方の方が大勢を占めていて、あちこちの掲示板で専門家たちと一般人の間で紛糾が生じる事、しばしばであった。


    ポテンシャル・エネルギーに実体はない

     しかし、問題は意外にも簡単な形で解決してしまった。何がきっかけとなったのかを説明するのは難しい。物体同士の衝突について来る日も来る日も考えているうちに、ふと気付いたのである。

     先に接触して働く力について考えたが、この時には一方が他方に与えたエネルギーはすぐさまもう一方に伝わっていることが分かる。しかし離れて働く力を考えたときには、作用反作用でお互いの間に働く力の大きさは同じであるにも関わらず、その間に移動する距離がお互いに違うので一方が与えたはずのエネルギーがもう一方に伝わっておらず、どこかへ行ってしまったように思われる。

     このようなことが起こるのはお互いの相対距離が変化している時であることに注目して欲しい。この、一見エネルギー保存が成り立たなく見える時に、それを補償するような具合にポテンシャルエネルギーが生じているのである。

     ポテンシャルを決めているのは、お互いの間の距離だけであって、ある距離でどれくらいの力が交換されるかというルールさえ変更しなければ、相手のポテンシャルの深みにはまり込んで運動エネルギーを一時的に失ったとしても、必ず、もとの運動エネルギーは帰ってくることが約束されているわけだ。つまり、ポテンシャル・エネルギーと言うのは、「運動エネルギーがどれくらい失われたか」を記録しておく手段であって、 それ以上の意味はないのである。

     言っている意味が分かるだろうか?まず運動エネルギーと言うのは「それだけでは決して保存する理由のない人為的な量」であることを理解しなくてはならない。他の物体との間で「力」が働くと、すなわち「運動量の交換」が行われると、運動エネルギーは容易に変化してしまうのである。

     ところがこの「運動量の交換」は相手との距離によってのみ、そのやり取りの大きさが決まっているので、ある距離を移動する間にどれだけの運動エネルギーが再び帰ってくるかという値が保障されているわけである。それならば、運動エネルギーとその値を合計したものの値がいつでも一定なのは当たり前である。

     我々は良く「運動エネルギーがポテンシャルエネルギーに変換した」という表現を使って、あたかも「エネルギーはこの世から失われてはならないもの」という印象を持っているが、これはさもエネルギーが実体を持っているかのような誤解を生じやすい表現である。しかしこう考えるとエネルギーという概念は何か物理的な実在を表しているものではなく、便利であるだけの数学的な道具に過ぎないということが良く理解できることだろう。


    まとめ

     初めの疑問に答えよう。ポテンシャルエネルギーに実体はないのである。よって、どこに蓄えられているわけでもない。ただ、ある地点から抜けるのにどれだけの運動エネルギーが必要かを表しただけのメモ書き、人為的なパラメータである。こう言ってしまうと、定義どおりの当たり前のことを繰り返しているだけの気がするが、今や、エネルギーについての理解は前より広がっている。

     エネルギーが保存するのは、エネルギーが保存するようにポテンシャル・エネルギーを導入して辻褄合わせをしたからである。全く当たり前のつまらない結論である。エネルギー保存の裏に「在る」のは、運動量と、運動量を交換する法則だけなのだ。