アイソスピン

やっぱり核物理をやらないと利点が分かりにくいかな。

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陽子と中性子は同一粒子?

 中性子が見付かった。それはなぜか陽子と似たような質量、大きさを持っている。電荷がないだけの同じような粒子が陽子の他にもう一つ存在する理由は何だろうか?なぜ自然はこれらの粒子を必要としているのだろう?

 同じような粒子が複数あるというのも疑問だが、二種類きりしかないというのもさらに輪をかけて不思議だ。これは裏に何か仕掛けがあるに違いない。

 そこで電子のスピンのことが思い出される。電子のスピンは上向きか下向きかの二つの状態しか観測されないのだった。これは状態が違うだけであって、どちらも電子という粒子を見ていることには違いない。

 するとだ、ひょっとすると、我々が別種の粒子として見ている陽子や中性子というのは、同一の粒子の異なる状態を見ているに過ぎないのかも知れない。そう考えれば、二種類の粒子が同じような質量を持っている理由も、それが二種類しかない理由も納得が行くではないか。そこで、陽子と中性子を同一粒子としてひとまとめにして呼ぶために「核子」という用語が提案された。

 実際は核子は素粒子ではなく、さらに基本的な粒子であるクォークが組み合わさって出来ていることが後に明らかになる。陽子や中性子の違いはその組み合わせによるのだった。だからこのアイデアは大正解というわけではなかったが、理論的にはこの考え方を当てはめることは間違ってはいなかったし、現在も役に立っている。何よりも、下層の素粒子の存在を見出すためのヒントとして役に立ったのだった。

 ちなみに陽子の質量は\( 1.67262158 \times 10^{-27} \) kg であり、電子の 1836.15 倍。中性子の質量は\( 1.67492716 \times 10^{-27} \) kg であり、電子の 1838.68 倍。わずかに 1/1000 ほど中性子の方が重い。この差は電荷の違いが原因なのだろうか。いや、電荷が集まるにはエネルギーが必要なのでむしろ陽子の方が重くなってもいいのではないかとも思える。この質量差の理由は簡単には説明できそうにない。それでも関連を感じさせるには十分に似通った質量だとは言えるだろう。


アイソスピンの数学

 電子のスピンと全く同じ構造の数学を取り入れて、これを「アイソスピン」と呼ぶことにしよう。

 電子のスピンというのは角運動量に関連した量であった。角運動量というのは実際の 3 次元空間での回転に関係した量である。一方、アイソスピンというのは数学的な構造を真似しただけであって、現実の空間での回転とはまるで関係がない。だからわざわざ\( \hbar \)の単位を付けて議論する理由もない。

 核子のアイソスピンの大きさ\( |\Vec{I}| \)が 1/2 だとしよう。まぁ正確には\( |\Vec{I}| = \sqrt{\frac{1}{2}(\frac{1}{2}+1)} \)のことだが、電子のスピンと同じく、それを慣例で 1/2 と呼ぶのである。この場合には z 軸成分\( I_z \)は +1/2 と -1/2 の二通りしかないのだった。それに対応させて、陽子というのは\( I_z = + \frac{1}{2} \)の状態、中性子というのは\( I_z = -\frac{1}{2} \)の状態を見ているのだと考えることにする。いや、これは適当に決めただけであって、本当はどっちがどっちでも良かったのである。

 しかし今となってはこの定義を基準にして色々なことが決まってしまっているのでひっくり返すわけにもいかない。ただややこしいことに、素粒子分野では今言ったように定義されているのだが、原子核物理の分野ではこれとは逆の定義で議論されていることが多いので注意が必要だ。

 電子のスピンは x 軸や y 軸や z 軸について測定した場合について議論することができたが、アイソスピンというのは z 軸成分だけを問題にするしかないだろう。だって、\( I_x \)\( I_y \)なんてどこから観測すればいいというのだ!?式変形の中ではそういうものが顔を出すこともあるけれども、そういうのは理論の上だけの話だ。気にしないで構わない。

 さて一番の気になることと言えば、このような数学的な構造をわざわざ取り入れることによって一体どんな利点があるかということではなかろうか。困ったことに、それを簡単に説明するのは難しい。何か具体的な例を幾つか示せばいいのかも知れないが、話がいきなり複雑な横道に逸れてしまう気がする。ここまでの話だけではまだ具体的な話をする道具が整っていないのである。

 今回の話の主目的は「陽子と中性子をひっくるめて核子と呼ぶ」という話だけだったということにしておこう。あとの方でアイソスピンを使わないと理解できない現象を説明することになるかも知れない。そのための予告編でもある。


中性子のスピン

 ところで、陽子と中性子を同一粒子だとみなすからには、陽子と同じく中性子もスピン 1/2 のフェルミオンだと考えないと都合が悪いだろう。今話しているスピンというのはアイソスピンのことではなくて普通のスピンのことである。

 中性子のスピンが 1/2 だというのはどうやって確かめられたのだろうか?ちょっと横道に逸れるが、ちょうどいいから中性子のスピンについても話しておこう。

 中性子は電荷が 0 なのに、不思議なことにわずかに磁気モーメントを持つのである。これはつまり、電子のスピン測定と同じように不均一な磁場の中を通過させると、中性子も上か下かのどちらかに進路が分かれるという意味である。確かに原理上はそういうことなのだが、そのような実験は簡単にできるものではない。中性子の位置を測定するのは非常に困難であるし、磁気モーメントの値だって電子や陽子よりもずっと小さいからである。だから、このことはずっと後の 1960 年代になって、核磁気共鳴という全く別の方法で発見されたのである。

 この核磁気共鳴の原理についても原子核物理の分野に属する話になりそうだ。ここでは説明を省くことにしよう。とにかく磁気モーメントの差によるエネルギーの差が確認され、確かに 2 種類きりのスピン状態があることが実験で明らかになったのである。要するに中性子のスピンも 1/2 である。

 しかし中性子のスピンが 1/2 であるということはその核磁気共鳴の実験で初めて明らかになったというわけではない。原子核の持つスピンについての実験などによって、中性子が発見された頃からずっと確信されていたことである。

 中性子のような電荷を持たない粒子が磁気的作用を持つということは、内部構造があることを予感させる。どうやら中性子というのは、電荷を持つ複数の粒子から構成されている複合粒子であって、その電荷の合計がプラスマイナスでうまく打ち消し合って 0 であるために表面的には電荷 0 の粒子に見えているという可能性が疑われる。

 しかしそれは陽子と電子の組なんかでは有り得ない。もしそうだとしたら、陽子も電子もスピン 1/2 なのだから、それらのスピンを合成した中性子のスピンは 1 か 0 になるはずだからである。そういうところから、中性子などを構成する未知の要素が存在するに違いないという確信が強まり、クォークという存在にたどり着くのである。

 ところで、時々スピンと磁気モーメントを同一視しているような誤解を見かけるのでここで敢えて注意しておこうと思う。スピンと磁気モーメントとは非常に関係があるが、全く別の概念である。スピンがあっても磁気モーメントがあるとは限らない。だから、スピンがあっても、不均一磁場を通過したときに必ず進路が分かれるというわけではない。これからスピンを持つ色々な粒子の話が出てくるので、この段階でこの話を差し挟む機会があって良かったと思う。