スピンの合成

三重項とか一重項とかいう謎の用語。

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スピン 1/2 とスピン 1/2 の合成

 前回は軌道角運動量とスピンの合成の話をしたが、もちろんスピンどうしの合成も可能で、やり方は全く同じである。スピン 1/2 と スピン 1/2 の合成は次のように求められる。
\[ \begin{align*} \ket{1,1} \ &=\ \ket{\textstyle \frac{1}{2}}\ket{\textstyle \frac{1}{2}} \tag{1} \\ \ket{1,0} \ &=\ \textstyle \frac{1}{\sqrt{2}} \Big( \ket{\textstyle \!-\!\frac{1}{2}}\ket{\textstyle \frac{1}{2}} \ +\ \ket{\textstyle \frac{1}{2}}\ket{\textstyle \!-\!\frac{1}{2}} \Big) \tag{2} \\ \ket{1,-1} \ &=\ \ket{\textstyle \!-\!\frac{1}{2}}\ket{\textstyle \!-\!\frac{1}{2}} \tag{3} \end{align*} \]
 もはや計算するまでもない感じであった。残りの 1 つはこの 2 番目の状態を直交化するだけで得られる。
\[ \begin{align*} \ket{0,0} \ &=\ \textstyle \frac{1}{\sqrt{2}} \Big( \ket{\textstyle \!-\!\frac{1}{2}}\ket{\textstyle \frac{1}{2}} \ -\ \ket{\textstyle \frac{1}{2}}\ket{\textstyle \!-\!\frac{1}{2}} \Big) \tag{4} \end{align*} \]
 計算だけならこれで終わりなのだが、今回はこの結果を見ながらスピンに関する物理的な話をしてみよう。


三重項と一重項

 (1) (2) (3) 式の 3 つの状態のことを「スピン三重項状態」と呼ぶ。3 つまとめてそう呼ぶこともあるし、この中のどれか一つを指してそう呼ぶこともある。要するに、2 つのスピンの向きが揃っていて全角運動量が助け合って\( l = 1 \)になっている状態のことである。単に「三重項状態」と呼ばれたり、さらに短く「三重項」とだけ呼ばれることも多い。
 これと同じ数学構造をスピン以外にも応用する場合もあるので「スピン三重項状態」が正式名称というわけでもないのである。
 これらの状態を「三重項」と呼ぶのは少し不思議な感じがするだろう。式を見ても項は一つか二つしかないし、三つの状態を重ねているわけでもなさそうだ。あとで詳しく話すが、この 3 つの状態は重ね合わせ状態を作ることが多く、元々はその状態を意味する triplet state という英語を「三重項状態」と訳したのが始まりだろうと思われる。英語の triplet は「三つ組」くらいの意味で使われているので、必ずしも重ね合わせ状態のことを指していないこともあるのだが、triplet と書いてあれば習慣的に「三重項」と訳してしまうことが多い。

 この「三重項」に対して、(4) 式の状態のことは「スピン一重項状態」あるいは単に「一重項状態」や「一重項」などと呼ぶ。この「一重項」というのは英語の singlet を訳したものであるが、元のニュアンスは「ひとつだけぽつんとあるようなもの」くらいの意味である。物理的には 2 つのスピンの向きが逆になっていて全角運動量が打ち消し合って 0 になっているような状態を意味している。

 式の形を見る限りでは (2) 式もあたかも 2 つのスピンが互いに逆になっているように見えるが、そちらは\( z \)軸方向成分だけを見ると 0 になっているというだけである。スピンは少しとらえどころがない部分があるので普通のベクトルが合わさったイメージで説明するのは限界があるのだが、(2) 式を敢えてイメージするなら向きの揃ったスピンが測定方向に対して真横を向いていて 0 になっているようなイメージである。スピンが\( x \)軸や\( y \)軸方向を向いている状態というのは z 軸の上向きと下向きが半々に重なった状態で表されるのだから・・・。いや、こんな曖昧なことをあれこれ言うより読者それぞれの解釈に任せたほうがいいだろう。

 ちなみに、singlet や triplet を一重項や三重項と訳すのが定着した影響からか、doublet も二重項と訳されたりする。たとえばスピンが二つの状態しか取らないことを言う場面で、その二つの状態を指すのに使われる。その訳がしっくり来るときもあるのだが、何か違うと感じる場面も多くある。しかし「二重項」と訳してくれているおかげで「これは原文では doublet なのだな」と推測できてニュアンスが分かりやすかったりもする。


三重項状態が重なる理由

 三重項状態が文字通り重なるのは、区別できない同種粒子どうしでの合成を考えたときである。

 いや、この言い方は正確さに欠ける。言い直そう。同種粒子どうしのスピン合成を考えると「(1) (2) (3) 式の 3 つの状態だけで重なった状態を作り、(4) 式の状態とは重なり合わない」という「二つのグループに分離した状況」になる可能性が高いということである。同種粒子でなければ (1)~(4) 式の 4 つの状態が全部重なり合う可能性も残されている。もちろんどれもが重なり合わない状況というのも起こり得て、同種粒子であるかどうかに関係ない。

 どの状況についても「可能性がある」としか言っていないのでややこしく聞こえると思うが、重箱の隅をつつくとそうならない状況も考えることが出来てしまうのでこのような曖昧な表現をせざるを得ない。

 ではそのようなことが起こる理由についての説明に移ろう。

 これまでは粒子 A と粒子 B という区別された粒子を考えて、粒子 A の状態を先に、粒子 B の状態を後にして状態を表現してきた。それについて少し気になることがある。 (4) 式を見ると、どちらの粒子の状態を先に書くかによって全体の符号が逆になってしまうという違いが現れるのである。いや、符号が変わっても全体にかかる位相が変わったというだけのことなので物理的には全く同じ状態を表しており、特に気にするような問題ではない。ところが、区別するための特徴を一切持たない粒子どうしの場合にはこういうことを気にしないといけなくなる。

 詳しくは第 5 部の「ボソンとフェルミオン」という記事で説明しているが、ここでもざっと説明しておこう。

 区別のつかない同種粒子を入れ替えても何も変わるはずがないと考えるのが普通の思考である。ところが波動関数全体に掛かる位相に変化が生じている可能性があり、もしそうなっていても我々には何ら違いが見出せない。粒子の入れ替えを 2 度行えば、それは元の状態と同じに戻るのだから、2 回掛けて元に戻るような位相(絶対値 1 の複素数)と言えば、\( \pm 1 \)のどちらかしかない。つまり、粒子を入れ替えても本当に何も変化しないか、符号が逆転するかのいずれかである。実際、このどちらの場合もあることが分かっており、符号が変化する方の性質を持った粒子をフェルミオン、変化しない方をボソンと呼んでいる。同種のフェルミオンは同じ状態に存在することが出来ないという性質もこれを使って説明できる。電子はフェルミオンに分類される粒子であり、パウリの排他原理に従うことが知られている。

 そういう意味では (4) 式はフェルミオンの性質をうまく表せているようである。ところがそれは甘い。 (4) 式はスピン状態を表しているだけであり、空間分布を表す波動関数も一緒にして考えないといけないのだ。

 粒子 A の空間分布の波動関数が\( \psi(\Vec{x}\sub{A}) \)で表されていて、粒子 B の空間分布の波動関数が\( \phi(\Vec{x}\sub{B}) \)と表されていたとすると、両方を合わせた状態はこれらの積で\( \psi(\Vec{x}\sub{A})\phi(\Vec{x}\sub{B}) \)と表せる。これは演算子ではないのだから順序は気にしなくてもいい。さて、同種粒子の場合にはそれぞれの立場を入れ替えても位相以外は変わらないはずなので、次のいずれかの形で表せるようになっているはずだろう。
\[ \begin{align*} \Psi \ &=\ \textstyle \frac{1}{\sqrt{2}} \Big( \psi(\Vec{x}\sub{A})\phi(\Vec{x}\sub{B}) \ +\ \phi(\Vec{x}\sub{A})\psi(\Vec{x}\sub{B}) \Big) \tag{5} \\ \Phi \ &=\ \textstyle \frac{1}{\sqrt{2}} \Big( \psi(\Vec{x}\sub{A})\phi(\Vec{x}\sub{B}) \ -\ \phi(\Vec{x}\sub{A})\psi(\Vec{x}\sub{B}) \Big) \tag{6} \end{align*} \]
 (5) 式では粒子を交換してみても何も変わらず、(6) 式では全体にマイナスが掛かったものに変わることになる。

 もし電子のようなフェルミオンを想定している場合には、粒子を交換したときに波動関数の全体の符号が変わるような形でないといけない。(1) (2) (3) 式のスピン状態では符号が変わらないので (6) 式の空間分布と組み合わせた形の状態でしか存在し得ない。そして (4) 式のようなスピン状態では (5) 式と組み合わせた形の状態しか存在し得ない。

 つまり、(1) (2) (3) 式のようなスピン状態は、空間分布に関しては同じ状態を共有できる可能性があるのだが、(4) 式のスピン状態とは同じ分布にはならない。もし (5) 式と (6) 式の状態がたまたま同じエネルギーであるなら 4 つのスピン状態が重ね合わせ状態を取ることもあるだろう。しかし異なるエネルギー状態になるのが普通であり、重なり合った状態は実現しにくい。大抵はエネルギーの値が確定した状態へと落ち着いて定常状態となり、我々はそれを観測することになるからだ。

 外部から磁場などが掛かっていればスピン状態によってもエネルギーが違ってくる。つまり、(1) (2) (3) 式のスピン状態が必ずしも重ね合わせ状態になるというわけでもない。

 肝心な部分だけまとめて言い直そう。スピン三重項状態というのは、3 つのスピン状態が空間分布の波動関数を共有しているためにエネルギーの値が同じになっている事が多く、一重項状態とは異なるエネルギー準位でグループを作っている。その三重項の重ね合わせ状態というのは、二つの粒子のスピンが同じ方向を向いていることだけは分かるがどの方向を向いているかは分からないというか、どの方向を向いている可能性も同時に存在しているという状態である。