二重スリット量子消しゴム実験

不思議な結果なのに、やはり量子力学の範囲で説明できてしまう。

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実験内容

 二重スリット量子消しゴム実験は2001年に次の論文で結果が報告されている。
Walborn, S.P.; M.O. Terra Cunha; S. Padua; C.H. Monken (2002).
  "Double-Slit Quantum Eraser". Phys. Rev. A. 65 (3): 033818.
arXiv:quant-ph/0106078
2001年6月にネット上のarXivに投稿され、2002年に正式な論文として出版されたということである。
 前回のものよりもずっと単純な構成であり「遅延選択」の要素もない。「量子消しゴム」の意味は前回の記事で説明したので省略しよう。

 左側にあるのがレーザー光源である。ここから出るビームは紫外線の領域なので紫色で表現してある。これを BBO と呼ばれる非線形光学結晶に当てると、波長が 2 倍になった赤色の光が発生する。1 個の光子からエネルギーがちょうど半分の 2 個の光子がペアで発生する現象であるが、これが起きる確率は低いので、入射した光の大半が透過して直進するように描いてある。しかしこの辺りのことはあまり実験には関係がない。2 個の光子がペアで発生することだけが重要である。

 この 2 個の光子の一方は縦方向に偏光しており、他方は横方向に偏光している。これらは運動量を保存するために対称な方向へ出ていくのだが、出ていく角度は決まっていない。つまり、どちらがどちらか分からない状態にある。単に分からないというのではなく、発生過程を考えてみても量子力学的に区別できず、重なった状態にある。観測することによって初めて、どちらが縦偏光でどちらが横偏光かが確定する。これらの光子は「エンタングル光」と呼ばれており、両者がどんなに遠くに離れていても一方を観測すれば他方も確定するという特殊なものである。2 つの光子の状態は不可分であり、一つの状態を共有していると言えるのである。

 前回紹介した実験でも同じ結晶を使って 2 個のペアの光子を発生させたのだった。しかし大きな違いがある。前回はさらに別の結晶を通すことで偏光方向によって完全に別々の方向へ分けてしまったが、そうすると 2 つの偏光の重ね合わせ状態が解けてしまうので今回はそれは行わない。BBO の複屈折性によって少しだけ別々の方向へ出ていこうとするのだが、飛び出していく方向によって偏光が判別できないような 2 光子を選んで今回の実験に使う。つまり、BBO からはある程度色んな方向にペアの光子が出ていくのだが、その一部だけを利用するのである。図ではいかにも 2 つの方向だけに光が分かれているように描いてあるが、実際はそうではない。

 色々と細かく説明したが、以上の話は「特殊な装置によってペアの光子を発生させて別方向へ飛ばした」という一文にまとめておいても良いくらいで、今回の実験の本質ではない。ここからが本番である。

 図の下方へ飛んでいった光子は二重スリットを通過して検出器 B へと到達する。図では二重スリットを大きく描いているから光がスリットの間の壁を突き抜けているようになっているが、実際はとても狭い間隔のものであり、それに比べて光の幅は太く、光子はどちらの穴を通過する可能性もある。そして、もし何も細工をしていなければ、普通の二重スリット実験のように検出器 B の辺りに干渉縞が出来る。それはこの実験の準備段階で実際に確認もされている。このような干渉縞は両方の穴を同時に通過した確率波が互いに干渉した結果だと解釈できる。

 ところがここで、光子が二重スリットのどちらの穴を通過したのかが判別できてしまうような細工を施してやる。二重スリットのそれぞれの穴の前に「1/4波長板」と呼ばれる特殊な結晶を設置するのである。特殊な結晶と言っても、前回の話にも出て来たようなものだからそれほど特殊でもない。偏光の方向が縦か横かによって結晶内を進む光の速度が異なるというもので、その性質のことを「複屈折性」と呼ぶのだった。つまり、この結晶の軸の一つと偏光の向きが一致していれば速く通過するが、それに直交するもう一つの軸と同じ向きの偏光はそれよりも幾分かゆっくり通過するといったようなことである。このことを利用して面白い使い方をしてやる。

 例えば、縦偏光の光に対してこの結晶の軸を 45°傾けて入射させてやると、この光の電場成分は結晶のどちらの軸にも同じ大きさで均等に入っていくことになるだろう。ところがそれぞれの成分は進む速度が異なるので、結晶中を進むに従ってずれが出てくる。結晶の厚みを調整することで、光がこの結晶内を走り抜けるまでにちょうど 1/4 波長分のズレが生まれるようにしてあるのである。つまり光の電場の縦成分と横成分が 1/4 波長だけずれるので、まるで電場の方向がくるくると回るように進むようになる。これが「円偏光」というものである。

 結晶を傾ける角度を先ほどとは逆に -45°にしてやると、電場の回転方向が先ほどとは逆周りするようにすることも出来る。結晶の傾きを変えて設置することで、右回りの円偏光や左回りの円偏光を作ることが出来るのである。
 どちらを右回り、左回りと定義するのかについては分野によって違っているようである。

 要するに 1/4 波長板は直線偏光を円偏光に変える事ができる道具である。これをスリットの隙間の前にそれぞれ向きを変えて置くことによって、一方を通る光を右回りに、他方を左回りにすることができる。どちらを通ったかの目印を光に付けておくことができるというわけだ。

 とは言うものの、ここまでに説明した範囲の状況ではどちらのスリットを通ったかの区別がまだ出来ない。ここまでの説明は、こちらに飛び込んでくる光子が縦偏光だった場合のことであり、もし横偏光が飛んできた場合には円偏光の回転も逆になってしまうからだ。そこで検出器 A の側を利用する。検出器 A の前に偏光板を入れておき、横偏光の場合だけ通過するようにする。そうすれば、検出器 A が反応したときに同時に検出器 B に向かってきた光子は確実に縦偏光だったのだから、その場合にだけはスリットのどちらを通ったのかが判別できるわけだ。

 しかしこの実験では検出器 B には光子の円偏光が右回りか左回りかを判別する機能はないので、どっちにしてもこのままでは光子がどちらを通ってきたかを知るすべはない。もし知ろうとしてそのような装置を追加すれば出来なくもないのだが、この実験ではそれを行うことはしない。
 もし円偏光がどちら回りであるかを確かめたければ再び 1/4 波長板に通せばいい。 光は直線偏光に戻る。 このとき、右回りか左回りかによって、縦偏光に戻るか横偏光に戻るかが決まる。 これを偏光スプリッターという「偏光方向によって透過するか反射するかが決まる結晶板」に当てて方向を変えてやり、 別々の検出器で待ち構えることで選り分けてやればいい。 そのような大掛かりな装置はこの実験では全く使われていない。
 ところで、1/4 波長板を追加したことで干渉縞はどうなってしまうだろうか?右円偏光と左円偏光は干渉するのだろうか。これを考えるのは少々面倒だ。もしもこれが縦偏光と横偏光なら光の電場の方向が全く違うので、互いに独立して進むのだから干渉は起きないとすぐに分かる。しかし円偏光は縦の成分と横の成分を持っており、何も影響し合わないということはないだろう。それぞれの成分を分けて考えてみよう。縦の成分だけで考えると普通に波打っているわけだから普通の波と同じように干渉し、強め合う部分と弱め合う部分が出来る。ところが横の成分を考えると、縦の成分どうしが最も強め合うときに、横の成分は互いに逆の方向を向いており弱め合っている。このような具合にそれぞれの効果が打ち消し合い、干渉縞はなくなってしまう。
 さらに考えてみるとなかなか単純ではないことが分かる。 同じ強さの右円偏光と左円偏光を同じ進路で重ね合わせると直線偏光になってしまう。 少し前後をずらして重ね合わせると縦偏光にも横偏光にもなるし、その中間の斜めの偏光にもなるが、結局はどれも直線偏光である。 しかしどちらか一方が弱いと綺麗には打ち消し合わず、円偏光と直線偏光の中間のような楕円偏光になる。 また、同じ進路ではなく進路が交差するような状況を考えると、これもまた綺麗に打ち消し合わずに楕円偏光になったりする。 しかし二重スリットの間隔はスクリーンまでの距離よりずっと小さいので、 ほぼ一点からスクリーンに向かうようなものである。 つまり、ほぼ同じ強度で同じ方向に進むような状況として近似できるだろう。 スクリーン上ではほぼ直線偏光で、その角度が各点によって違うという状況であり、 強度の変化はそれほどないので干渉縞は出来ないということになるだろう。
 このように、スリットの直前に 1/4 波長板を置くだけで干渉縞が消えるというのは古典的な電磁気学の範囲でも説明できる話である。光子がどちらの穴を通ったかを区別できるようにしたから干渉が消えてしまったのだ、などという説明は必要ない。

 さて、「量子消しゴム実験」というからには、我々はこの光子がどちらのスリットを通ってきたかという情報を知ることが出来ないようにして、その結果として干渉縞が復活することを示そうとしているのである。単にそのための検出器を用意しないようにするだとかそういうのではなく、測定してみても分からないというような状況を作ってみる。

 検出器 A の直前にある偏光板を 45°に傾けて設置してやるのである。もしそちらへ向かう光子が縦偏光ならば 50% の確率で通り抜け、50% の確率で遮られる。もし横偏光ならば、やはり 50% の確率で通り抜け、50% の確率で遮られる。結局、検出器 A にたどり着く光子は半分になる。その光子は 45°の方向に電場が振動する直線偏光になっており、もともと縦偏光だったか横偏光だったか知るすべはなくなっている。

 このとき、検出器 A にたどり着いた光子とペアになっていた光子のデータだけを拾って、それらが検出器 B のどこにたどり着いていたかを調べてやると、ちゃんと干渉が起きていたかのような分布になっているのである。


解釈をしてみる

 なぜこのようなことが起きるのかを考えてみよう。検出器 A の側で光子が 45°の直線偏光として観測された時点で、それとペアになっている光子、すなわち検出器 B へ向かう光子もそれと矛盾しない状態になっているのである。-45°の傾きを持つ直線偏光である。

 1/4 波長板はそれぞれ 45°と -45°の方向に傾けて設置してあり、結晶の軸はそれに対して直交する角度にもあるから 45°と -45°のどちらにもある。つまりどちらの結晶に対しても軸に沿って入っていくことになる。ただし、一方の結晶の中では速く進み、一方ではわずかにゆっくり進むという違いがあり、両スリットから出てきたときには位相がずれているだろう。位相がずれていても偏光の向きは変わらないままだから、問題なく干渉を起こしてスクリーンへと向かうことになる。

 もし検出器 A の側の偏光板の角度を変えて -45°にしたならば、検出器 B の側では 45°になり、位相は先ほどとは逆転して、スクリーン上の干渉縞も山と谷の位置が逆転するだろう。

 さて、ここまでは検出器 A の側の観測によって B の側の状態が決まるかのように説明をしたのだが、なんと、この実験では A の側の測定が後になるようにしても同じ結果になることが確かめられているのである。

 たまには不思議なまま話を終わってもいいだろう。