アインシュタインの指針

光速度一定は原理なのだからとりあえず受け入れて
行く末を見守りましょう。

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アインシュタインの指針

 アインシュタインが論文の中で言いたかった事を要約すれば次のようになる。

 「マックスウェルの方程式をいじって求めた結果を怪しまなくても、次の二つのことを認めるだけで同じ結果、すなわちローレンツ変換式が導ける。だからこの二つを受け入れて、物理学を、特にガリレイ変換を見直してはいかがでしょう?力学の法則もローレンツ変換に従うと考えるのです。」

 その二つというのは、

光の速度は光源の速度に依らない「光速度不変の原理」
どんな慣性系でも物理法則は同じ「相対性原理」

というものである。

 宇宙はそういうものだと認めてあきらめましょう、という感じだ。それに対する現在の物理学の態度は、「実際、実験結果が相対論の予言した通りになるのなら仕方がない。二つくらいなら信じてみようか。」という具合である。

 「信じる」という言葉が科学的でないと思うかもしれない。しかし、物理というのは「信じて試して、確認していく」という過程を取るという意味では宗教的なのだ。それが個人レベルで起きるか、グループとして起きるかの違いくらいだろうか?日本人は宗教に疎くて、宗教とは「信じて信じて錯覚してゆく」過程だと誤解している人が多いように思われるが、真の宗教というのはそういうものではないのだ。偽の宗教に騙されないように。


二つの原理の意味

 二つの原理がそれぞれ意味する内容について考えてみよう。

 まず、光速度不変の原理。これは光源がどんな速度で動いていようとも、そこから発せられた光の速度は光源の影響を受けない、というものだ。これは水面に出来る波を思い起こさせる。その波が移動する物体が起こしたものだろうが、静止した物体から出たものだろうが、関係なしに同じ速度で伝わってゆく。ここで大切なのは、他の慣性系については何も言っていないという事だ。

 次に、相対性原理。これはどんな慣性系でも物理現象が同じ形式で書けるということである。同じ一つの出来事を色んな相対速度の立場から観測した場合、それぞれが得る値は当然違うだろうが、それは全く構わない。この原理は同じ出来事が誰からも同じように見えなければならないとは言っていないのである。

 観測値がそれぞれの立場で異なっていてもいいというのなら、それぞれの立場で物理定数が違っていても構わないとまで言えるだろうか。その通りである。一体、観測値と物理定数の違いとは何だというのだろうか。物理定数は観測値ではないか。実に、それぞれの立場で観測する光速度が違っていたって構わない。この原理はそこまで一致するべきだとは主張していないのだ。

 ところがこの原理には、「全ての慣性系は同等であるべし」という強い要求が含まれている。つまり、たとえ全ての慣性系で同じ形の法則が成り立っていたとしても、その式の中に、どれか共通した特定の慣性系を基準にした位置や速度が含まれているようではいけないのである。互いの慣性系の関係を表す式を書く場合には相対速度や相対位置に依存した量だけが使用を許されることになる。

 この要求から、もしある慣性系の中で定数と呼べるものがあり、それがどの慣性系でもやはり定数であるとするならば、その値は慣性系に依らずに同じでないといけないということが自動的に言えてしまうことになる。光速度もその一つである。これからそれを示そう。


光速度は誰から見ても一定

 広く知れ渡っているように、光速度はどの慣性系から見ても同じ値の定数である。これは観測事実である。

 このことは上で説明した二つの原理から導く事が出来る。やってみよう。

 自分から見てあらゆる光は一定速度である。また、自分とは別のある慣性系があって、そこにいる人にとっても光の速度は一定である。しかし、その人が私と同じ速度の光を見ているかどうかまでは分からない。ここまでが光速度不変の原理である。

 しかし両者とも光速は一定だというのだから、両者の観測したそれぞれの光速の値\( c \)\( c' \)の間に次の単純な関係式が成り立つはずだ。

\[ \begin{align*} c' = a c \end{align*} \]
 ここで\( c \)\( c' \)は正の値とする。また\( a \)はお互いの相対速度の絶対値によってのみ決まる定数である。お互いの慣性系は同等なので、\( a \)の値は相手から私を見るときにも同じだろう。つまり次のようになる。
\[ \begin{align*} c = a c' \end{align*} \]
 ここまでが相対性原理である。上の二つの式を合わせれば、
\[ \begin{align*} c = a^2 c \end{align*} \]
であり、\( a = 1 \)でなければならない事が分かる。つまりどの慣性系でも同じ速度の光を見ていると言える。

 世間に出回っている入門的な解説書では「誰から見ても光速度が一定」であることを「光速度不変の原理」だと説明してしまっていることがあるが、これは誤りである。まぁ、「光速度不変の原理」をこのように解釈してしまっても相対論自体の体系には影響はないので大きな問題ではないのは確かだ。しかし、これでは両方の原理に「慣性系」という言葉が出てきてしまうことになって、それぞれの原理の独自性が薄らいでしまうではないか。

 「慣性系どうしの相対性」に関わる原理と「それ以外の原理」とを綺麗に分離させたところに、この二つの原理の美しさがある。また、マクスウェルの方程式というややこしいものを基礎として持ち込まなくても済むところにもこの原理の美しさがある。

 さて、特殊相対論の数式上の基礎になっているローレンツ変換式というのは、「誰から見ても光速度が一定」であることだけから導けてしまう。だから原理がわざわざ二つも用意されていることが少々面倒に思えるかも知れない。しかし、この「相対性原理」という思想が相対論の向かうべき方向を決めているのである。そのことは後で話そう。

 なぜこの二つの原理でうまく行くのかと聞かれても理由は良く分からない。だから「原理」と呼ぶのである。実際、今のところ、これで何もかもうまく行っているのだ。