残された疑問

「質量」の謎は電磁気学が握っているかも。

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一般相対論の視点

 ここまでの話でなぜ「重力質量」と「慣性質量」が同じ値になるか分かってもらえただろうか?まだまだ説明不足な点がある気がするのでもう少し付け加えておこう。

 一般相対性理論では、つぎのように考える。

 全ての物体は重いものも軽いものも関係なく曲がった時空の中を直進する。直進という言い方をすると、空間だけをイメージしてしまって、移動速度はどう決まってるんだ、という疑問が出てくる可能性があるので少し言い直しておこう。物体の軌道は 4 次元グラフ上の直線で表されると表現した方がいい。

 ある 2 つの物体の軌道を表す 2 つの直線が、グラフ上のある一点で同じ方向を向いていれば、これは現実には同じ位置、同じ時刻に同じ速度を持っていることを意味するわけだが、この 2 つの直線は実は同一のものである。つまりそのような物体はこの後も、質量に関わらず同じように進み続ける運命にある。

 この視点に立てば、重力質量だとか慣性質量だとかいう違いは無意味であることが分かるだろう。物体が地球に引かれて重いものも軽いものも全く同じ加速度で落ちるのは両方とも時空の中を同じように直進運動した結果なのである。

 存在するのは時空の歪みだけであって、「重力」なんてものも本当はありもしない。ただあるように見えるだけだ。


重力とは何か

 「重力なんてものは本当はない」と言われても納得いかないだろう。我々は重力の中で重力を感じながら生活しているのだから。ではなぜ重力を感じるのかを相対論の立場から説明しよう。

 我々の住む地上では、地球の持つ巨大な質量によって時空が非常に曲げられている。なぜ時空が曲がるのかは今後に残された解明すべき謎の一つである。この曲がった時空の中にいる我々が、慣性に従って運動している物体を見ると、この物体が下向きに加速しているように見える。
分かりやすいように立場を変えた方がいい。試しに我々自身がビルの屋上から飛び降りれば、地上に達するまでのほんの僅かな時間だが、確かに自分が重力なんてものを感じない「曲がっていない時空」にいることが分かる。この下向きに加速する空間こそが我々が本来いるべき「平坦な時空」なのだ。

 厳密に言えば、これは完全に平坦な時空ではない。なぜなら物体は地球の中心に向かうため、落下している人は、同じように落下している他の物体を見るとき、それが徐々に自分の方向に近づいてくるのを観察することになるだろう。
これは地面に例えることが出来る。地球の表面は広い範囲で見れば明らかに曲がっているが、自分のごく近くを見る限りにおいては「地面は平らだ」と主張できる。同じような状態だ。自分のいる一点に限って言えば平らな時空だ、という意味でこれを「局所的慣性系」と呼ぶ。

 一般相対性原理の説明として「重力場は適当な座標変換によって局所的慣性系に移すことが出来る」という小難しい表現が使われることがあるが、これは実は簡単な話であって、自分がビルから飛び降りることで別の座標系からの視点を手に入れたならば、重力の存在しない世界を体験できるはずだ、ということを言っているだけのことである。

 ところが我々はその平坦な時空にどこまでも付いていく事は出来ない。そこには「地球」というでっかい先客がいて、我々の行く手を遮っているのだ。「平坦な時空」は我々を置き去りにして下へ下へと行ってしまう。「平坦な時空」の側から我々を見れば、我々は上向きに加速する地面の上に乗って上へ上へと向かっているように見えるだろう。その時に感じる下向きの見かけの力を我々は「重力」と呼んでいるわけだ。

 車に乗って加速するときにシートに押し付けられるのと同じように、我々は上昇する地面に押し付けられているのである。


質量とは何か

 重力質量だとか慣性質量だとかいう違いは無意味なのだ、と言われても我々は確かに「質量」というものが在ると感じている。重い物を持ち上げれば重いと感じるし、軽いものは軽い。重い物を押せばゆっくりとしか加速しないが、軽いものはすぐに動く。

 ではなぜそのように感じるのであろう?我々がある物体を持ち上げてじっとしている時、何もしていないように見えて、実は積極的に物体に働きかけているのである。その物体は本来、慣性運動をしようとしており、我々が手を離せば、その物体は平坦な時空に付いて行こうとするはずだ。それは我々の目には下向きの加速運動のように映るだろうが、物体にとってみれば平坦な時空の中で「等速直線運動」をしているのである。

 しかし我々はその慣性運動を邪魔している。邪魔しているだけではない。平坦な時空から見れば、我々は猛烈な勢いで加速する地面の上に立ってこの物体を支え、この物体を上向きに加速させているように映っているはずだ。

 我々はこの時、物体に対して絶えず上向きの運動量を与えているのである。この時の単位時間当たりの運動量を我々は「力」として認識し、それを「重力質量」と呼んでいることになる。


質量は電磁気力が生み出している?

 中学や高校での授業を思い出してもらいたい。質量の大きいものは強い重力を受けるが、その分加速もされにくいので、結局重いものも軽いものも同じ加速度で落ちる、という説明がよく行われる。この説明に感動した人も多いことだろう。しかし、残念ながらこの説明はいかにもニュートン力学的な発想であって、本質を表してはいないのだ。

 本当のことを話そう。意外かも知れないが、重力は質量に関係の無い力である。どんなものも同じ加速度で落ちてゆくことこそが自然の法則なのだ。我々は次のことを常識として受け入れているかも知れない。「物体の持つ質量に比例して重力が働く」と。一般相対論的な立場から見れば、誤りはこの部分である。これは、ニュートンが力を定義するときに、「力は質量と加速度の積で表される」と定義したために生じた世界観である。全ての物体が同じ重力加速を受けることを説明するためには「重力は質量に比例する」とせざるを得なかったのだ。実際、これは我々の日常感覚からしても大変説得力のある説明であった。

 重力質量というのはこのようにニュートン力学によって「作られた」概念であるが、いまや一般相対論の登場によりそれは無意味になってしまった。残るは慣性質量であるが、これは物体を押した時の加速の度合いによって定義される量である。この「押す」という行為を突き詰めて考えるに、我々の日常において物体を押すことの出来る力は電磁気力をおいて他にない。我々が筋肉を動かす化学反応も、車のエンジンなどの熱機関も、飛行機が空を飛ぶために利用している揚力も、全ては電磁気力の違った形での現れなのである。

 重力は我々を押しているじゃないか、と考えるかも知れないが、それはまだニュートン力学的世界観に縛られている証拠だ。実際は、平坦な時空の中を移動している物体を無理やりその軌道から逸らせようとして電磁気力を働かせた結果受ける反作用を重力だと勘違いしているに過ぎない。

 原子核内で働く「強い力」や「弱い力」についてはここでは無視している。それらが今回の議論にどのような影響を与えるかは、自分で考えてみて欲しい。

 新しい視点を提供しよう。ここに電荷を帯びた 2 つの質点があるとする。ニュートンの偉大な業績により我々には作用と反作用は等しいという世界観がこびりついている。そのため、これらの電荷の間にも互いに等しい力が働いており、それらの力は質量に反比例してそれぞれの質点を加速するはずだ、と考えてしまいがちだ。

 しかし力なんて物は存在するのだろうか?それは作り物の概念に過ぎない。我々が見るのは速度の変化のみである。そこで力などという概念は忘れてもらって次のことを考えてみよう。

 2 つの質点が静止して置かれており、これらの間に電気的な作用が働いた。その結果として、2 つの質点のもつ何らかの要素の違いによって、例えば一方の質点が秒速 3 m の速度を得、もう一方が秒速 1 m の速度を得たとしよう。我々はこの現象を見るとき、「一方の質量が他方の 3 倍大きい」と認識することだろう。気をつけてもらいたい。一方の質量が他方の 3 倍大きいからこの結果が起きたのではない。この現象によってあたかも質量というものが実在するかのように錯覚してしまうのである。この質点が持つ何らかの要素を「質量」という名前で呼んでいるに過ぎないわけだ。これが慣性質量の正体である。質量の大きな物体は実際に重いのではなく、電磁気力によって他方よりわずかにしか動かされない何らかの仕組みが存在することによって、いかにも重そうに見えているだけのことなのである。


残された疑問

 我々が次に問うべき残された疑問は次の二点である。( 1 ) 電磁気力が働くとき、どのような仕組みで物体を跳ね飛ばす度合いが違っているのだろう。( 2 ) その度合いを決めている何らかの要素(ここでは敢えて質量とは呼ばない)が時空を曲げる効果にも関わっているのはどういう仕組みによるのだろうか。電磁気力と重力は全く無関係ではない。この「何らかの要素」によって結び付いているのである。

 運動量保存則も作用反作用の法則も、正体はみんなただこれだけの現象を別の言葉で言い表したものである。もし上に挙げた二つの疑問の説明がつきさえすれば、私がこれまで力学のページからずっとひいきに見てきた「運動量」という概念も実は幻想に過ぎなかったことになる。

 「質量とは何なのか」という謎に迫りたいとき、我々は一般相対論を研究しようと思うかも知れない。重力の源は質量であると考えられており、一般相対性理論は「重力」の理論だと言われているからだ。しかし私は一般相対性理論はその答えを持っていないだろうと考える。質量の正体を探りたければ電磁気現象が生じる理由、その仕組みを突き詰めるべきではないだろうか。現在あるような「質量」「運動量」といった用語を使わない方法が必要だ。