なぜアインシュタインだったのか?

相対論は当時すでに常識だった?

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疑問

 最近このページの記事を書くために、相対論が成立した前後の科学史を学ぶことになったのだが、どうにもよく分からないことがある。それは、なぜアインシュタインだったのか、ということである。実は彼以前にも同じ事を主張していた人物はいたのである。資料によって年代が違うので良く分からないが、ローレンツは相対論が発表される一年前の1904年にローレンツ変換式を発表している。フィッツジェラルドも1889年に(1892年説もあり)同じ結論に達していたという話もあるがこれは「短縮」についてだけかもしれない。短縮だけなら、ローレンツも1895年に(1892年説もあり)気付いているし、さらに以前に1887年(実験の年)にフォークトもこのことに気付いているようである。ポアンカレについては1899年に(98年というものもあり)すでに「相対性原理」という言葉を作り、光速度が一定であることを原理とする新しい力学の必要性を説いている。これは相対論そのものではないか。それなのに、なぜアインシュタインだけが「天才」なのだろうか?


代弁者

 相対論に関する読み物や教科書の中には、アインシュタインの理論がそれまでの常識を打ち破る革命的なものだと紹介されているものが多数存在する。しかし、どうやらそういうわけではなさそうである。

 アインシュタインはマイケルソン・モーレーの実験の結果を知らなかった、とする説もあるが、そんなはずもないであろう。ただ、ローレンツの論文から知ったというのは本当かもしれない。ローレンツは確かにアインシュタインに影響を与えているはずである。ローレンツの理論をじっくり考えていると相対論は自然に思いついてくる。アインシュタインは独自の思考から相対論を思いついたとされているが相対論は当時の気運としてあったに違いない。アインシュタインが発表しなくてもいずれ物理学は同じ道をたどって行っただろう。

 結局、そのような物理学の革命を起こすために、歴史は一人の「英雄」を必要としたのではないだろうか?「英雄」にふさわしいカリスマ的代弁者を求めていたのではないだろうか?

 アインシュタインがポアンカレのことを知らないと言ってポアンカレの怒りを買った話は有名であるが、ポアンカレの気持ちも分からないでもない。全く同じ内容のことを彼以前に主張していたのだから。しかしアインシュタインがノーベル賞をもらった理由は「光電効果」であって「相対性理論」ではないのだからこれは妬みなのかも知れない。残念だが結局、有名になったもの勝ちだということなのか。


一般化へ

 しかし、一般相対性理論は違う。これは誰も求めていなかったことである。少なくとも学問的にそのような需要はなかった。ただアインシュタインの知的好奇心を満足させるためのものであった。いや、知的好奇心という言葉を使うよりも、「理論に対する美的感覚」と言った方がいいかも知れない。つまり「こだわり」である。そして、彼はそのある意味、オタク的な仕事のために10年間をその研究に没頭したのである。競争相手は誰もなく、誰も邪魔するものはなかったようだ。このアイデアは彼のオリジナルと認めても良いだろう。確かに天才的である。

 特殊相対論の思想を発展させて、それを一般化した理論を完成させたのであるから、特殊相対論の栄誉くらいおまけ程度に彼に帰しても良いのではないだろうか、という気にさせられる。彼にとって特殊相対論は単なる次へのステップに過ぎなかったのだ。そう考えると、二つの理論が同じ人物によって作られたと考える方が歴史的にもかっこいいし、同じ人類としても誇りに思えるのである。そんなカリスマを彼はなぜか持っているのだ。