眠れぬ夜に思うこと

そんな日もある。


進化論について

たまたまの確率で、自己複製の出来る分子が生まれ、
複製のミスからさまざまな種類の分子が合成され、
やがて種族となり、
環境に適したものが生き残り、機能を高度化させ、
神経系が発達し、
ついには「我とは何なのか」と問いかける個体が生まれる。

そこまでならば私も信じることが出来る。
よく出来た理論だ。

私が信じられないのはただ一つ。
なぜ今、そのような現象の全てを
私の視点で観察しているのかということだ。

そういう現象がありえそうなのは認める。
しかし
私自身がその現象の中に参加してしまっているのはどういうことか?

私とは何なのだろうか?


そこで蚊が刺す

哀れな蚊よ。
たまたま人の住む部屋への侵入に成功し、
そこに本能の渇望するものが大量にあるのを見つけたのだ。

第一の欲求が満たされた後で、
今度は水場へと向かいたいという欲求が
彼女を苦しめることになるのだろうか。

蚊は分子の集合した、ただのマシーンだろうか?
それともそのセンサーを通して外界を見つめる彼女自身が、
その中に在るのだろうか。

私がピシャリと叩いたら、
「彼女の世界」は消えるのだろうか。


そう言えば・・・

こんな話を友人がしてたっけ。

「誰もいない森で、木が朽ちて倒れるとき、音はするだろうか?」

彼が小学生のとき、この問題でクラスが二派に分かれたんだそうだ。
そんなバカな、と思ったものだ。
だって、答えは決まってるじゃないか。
アメリカの子供たちは、そんなの当たり前だなんて思わないんだろうか。

けれど今、これと似たような疑問を私も持っているわけだ。
「この宇宙で、生命が生まれる前から、宇宙はこの姿で存在したのだろうか?」
もちろんそうだと私は思う。
だけど、それに意味があるだろうか。

誰も見ていないのに動き続ける宇宙。
守られ続けるルール。
そんなのに意味があるだろうか。

いつから? 何のために?


クオリアか

私の見ている赤色は、他の人にとっても赤色に見えているのだろうか?

まぁ、味については全く違うと思う。
私にとって甘いものを、妻は苦みがあると言い、
私が渋いと言うものを妻は全く気にしないで食べる。

だから妻と私の味の好みはいつも逆さまだ。

ああ、これはあまりクオリアとは関係ない気がする。
眠くなってきた。
多分、眠くなってきたんだと思う。

寝たら、自分はどこへ行くんだろう。
もうどうでもいいや。


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