なぜ若者が団結しないかって? そりゃ、頼れる思想、心酔できる思想が存在しないからだ。 世の中があまりに複雑に絡む形になって来ているせいで、 ある程度までは良さそうな思想であっても、各方面から批判を受けてしまい、 そのせいで説得力を失うものとなっている。 「これなら世界を救えるだろう」と誰もが希望を持てるアイデアが存在しないのだ。 言論によって思想を育てて行けばいいという希望もない。 若者は上の世代のやったことをかっこ悪いと感じている。 思想が異なることによる醜い内部抗争なんかはしたくはないし、 論争に勝ち残った思想が正しいなんてことも信じられない。 (言葉で勝てばそれが正しいと信じている 声の大きいオヤジどもには辟易している。) それともう一つ。 若者は自分の為ではなく、人の為に、皆の為に生きる事を教育されてきている。 誰かが、「お前邪魔だから」と言うとき、 かつ、他の誰もが自分を擁護してくれないならば、 自分がその場所を空けることが、「皆の為になる正しい事」だと信じ込まされている。 誰かに「お前、生きていなくていいよ」と言われて、 かつ、誰も「必要だ」と言ってくれなければ、死ぬ。 そんな事を言う世界の中に、自分の存在価値を見出すことが出来ないのだ。 むしろその方が人の為になると信じて死を選ぶ。 誰か周囲に、 「お前の持っているそれが欲しい」と強く主張する人たちがいれば、 むしろ譲ってあげる方が良いと刷り込まれている。 儲けたいと思っているオヤジどもには 思う存分儲けさせてやればいいと思ってるし、 自分たちをもっと働かせたいと思っている人の為には、死ぬまで働くつもりである。 島が欲しいならあげればいいし、土地が欲しいならあげればいいし、 参政権が欲しいならあげればいいと思っている。 (この辺は皮肉だ。 あまり気にせんで欲しい。) 若者に希望や向上心がない? まぁそうかも知れない。 しかし、若者たちは常に自分以外の誰かの役に立ちたいと望みすぎて 自分を失っているだけなのである。 彼らは「君は大事だよ」と言ってくれる他人を探している。 テレビやメディアや学校が、そんなメッセージを流し始めている。 ある人はそのメッセージに救いを求めて飛びつき、ある人は胡散臭さを感じている。 その幾分かは、良心的な人たちの本心から出ているメッセージかも知れないが、 幾分かは問題解決の手段になると信じて、残りは金儲けのために出されている。 むしろ、今必要なメッセージは、必要だとか大事だとかそんな生ぬるいもんじゃなくて、 「人のことはどうでもいい。 お前はどうなんだ? やりたい事も嫌な事も全部相手に伝えてやれ。 分からせてやれ。 それがお前が示せる愛情だ。 ただ譲るだけじゃ、相手も自分も幸せになんかなれやしない。」って感じのものじゃないだろうか。 相手の為だと信じて、何でもやってあげてしまい過ぎた結果、 相手の自尊心を損なってしまうという不幸は良くあることだろう。 ・・・なんてことを私も強く主張するわけではない。 ただ、何ヶ月か前に思い付きで書いた文章をたまたま発見して、 ちょっと共感する部分を見つけたので発表してもいいかな、という気になっただけだ。 「長期にわたって固定した」思想や理想がないってのは、生きにくいよなぁ。 後から見て、馬鹿だと思われるリスクは避けられるけど、 もっと大きなリスクを背負ってるようだ。 ただ・・・、これを発表する直前に、 若者に共通する思想が生まれ始めていることに気が付いた。 これが長続きするかどうかは分からないが、 無意識のうちに共通した行動に出始めているとすれば、ちょっと面白い。 しばらくそっと見守りたいものだ。
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