子供にお小遣いを与える事は、 子供の金銭管理能力を養う上で役に立つ。 しかしどうやらそういう理念を持たないで 小遣いを与える親が増えているようだ。 子供を自分の意に従わせるためだったり、 ただただ子供の欲求を満足させるためだったりする。 もっと手を掛けて育ててやれよ、と思う。
お小遣いは家庭によって色々な制度がある。 私の場合はどうだったか。 小学校の中学年の頃から、一日に30円ずつもらった。 これが実に微妙な額で、20円で「ガチャガチャ」を 1回やると余った10円には使い道がない。 「チロル」は10円で買えたが、 おやつは小遣いとは別に支給されていたので、 そんな無駄な買い物をする気は起きなかった。 それよりあと一日待てば「ガチャガチャ」が2回出来るのだ。 100円という巨額の財産を手にする事は滅多になかった。 4日間何もせず耐えに耐えて、100円プラモを買いに走る。 あまりにつらいので「なぜ30円なのだ?」と母に聞くと、 「本当は50円ずつあげるはずだったんだけど、 お前が遠慮して30円でいい、って言い張ったんじゃないか。」 と言われた。 記憶をたどってみる・・・。 そう言えば、遠い昔、そんな会話をした覚えがある。 その日の米も買えない親の事情を何となく感じていた私は 親の買い物に着いて行って駄々をこねることをしなかった。 そういうことをする他の家の子を「みっともないなぁ」と観察していた。
そんな風に育った私には大きな弱点があった。
「大金を持つ事に罪悪感を感じる。」 親が私に気を使って、家計を完全に秘密にしていたせいである。 その後、我が家は父の努力によっていつしか貧乏を脱出していたのだが、 私は子供が家計を知ろうとすることが道徳的に非常に悪い事だと 信じるようになっていた。 それで生活や学費に幾ら掛かるかなんてことは大学生になるまで知らなかったし、 年収を知らされてもそれが多いのか少ないのかさえ判断できない状態だった。
インターネットもない当時、どうやってそんな情報を手に入れたらいい?
高校の頃に付き合った子の行動は 私にとってはあまりに大胆で、 まるで異世界の文化のように思われた。
頭数を数え、コストを比較し、
学校帰りにタクシーをつかまえ、仲間で美術館へ行った。
また別の日には彼女たちの計画に乗って日帰りで京都旅行もした。
これはダブルデートだったのだが、もう一人の彼も、 中学までの校則で、 保護者無しの校区外への外出を厳しく禁じられていた私たちはこんなことも自分たちで 計画できなくなっていたのだった。
彼女の財布は無限かと思えた。 「予算提出+事後報告+還付制度」 私も詳しくは分からない。 だが今になって親の視点で考えると興味深いやり方だと思える。
さて、私が是非実行してみたいと考えている制度がある。 結婚前から考えている私のオリジナルだが、ちょっと聞いて欲しい。 「レポート買い上げ制度」 まず、私の知りたい情報をリストにして冷蔵庫にでも貼り付けておく。 その各項目の隣には、 その情報の代価として 私が支払ってもいいと思う金額を書いておく。 日常の疑問をあれこれ書いておけばいい。
「あそこの建設中の建物は一体何になるのだろう」とか、 この提示された金額を手に入れるためには、 掲示された内容について調査して、 それをレポートとしてまとめることが求められる。
私はその内容を評価して、
出来栄えに応じて代金を払うわけだ。
満額がもらえるとは限らない。
改善すべき点を示して突き返すこともある。 子供には、報酬の増額を求める事も、 再調査のための費用を請求する事も許される。 もちろん、全ては交渉次第だ。 私を納得させるだけの理由があるならば応じよう。 放っておけば賞金額は徐々に下がって行く。 情報の命はスピードだということを思い知ることだろう。 子供が常に憧れるようなものを上位に配置しておくといい。 数学の未解決問題など。 子供はこれらを高嶺の花として見て育ち、 いつしか生涯の目標にするかも知れない。
子供の年齢が上がれば、少々難しい任務を任せる。 捏造レポートに騙されないように 私自身もしっかりこっそり勉強しなくてはならないだろう。 おかしな部分は徹底的に追求する必要がある。 買い取ったレポートは私のファイルに大切に保管する。 こんな価値ある楽しいコレクションがあるだろうか。 趣味と教育と実益を兼ね備えている。
私は我が子をあらゆる点で自分に勝てるくらいにまで育てたいと思っている。
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