前世体験の読み方

困惑させないための前書き


 ここを読みに来てくれる多くの人にとって ここにこれから書くことは困惑を与えるものになるかも知れない。

 これについてどのように判断するかは読者に任されている。

 単なる私の創作だと考えて軽く読み流してもらっても構わない。 (そうやって楽しんで頂ける方が気が楽である。)

 しかし私の性格を慎重に吟味する人物ならば、 私がただの、つまり単なる思い付きの小説をこんなところに 発表するとしたら何らかの矛盾した感じを受けることだろう。

 はっきり言っておこう。  ここに書くことは事実であり、私の高校時代の日記を基に再現したものである。  少なくとも実際に起こり、私が体験したことである。  しかし関係者のプライバシーに考慮して本名などは隠さざるを得なかった。

 ここに書いたことは私にとっては事実かも知れないが決して真実ではないとか、 そういった分かりきったつまらない議論をここで書く気はない。  読者がそれぞれの判断で読んでくれたらいいのだ。

 しかしこれだけでは読者は遊ばれているような不安を覚えるかもしれない。  そこで私の意図として考えられるものを下に挙げておくことにしよう。  このような手がかりがあれば少しは安心できるだろう。  このうちのどれかかも知れないし、全部が本当かも知れない。  あるいは自分でまだ気付いてないだけで別の意図が私の心の中に 隠されているのかも知れない。

(1) 人間の弱さ、騙され易さ、無知についての教材
(2) 高校時代の自分を分析する作業
(3) 自分の体験についての合理的説明を捜し求める作業
(4) 同じ体験をした人を「自分だけが特別だ」という思い込みから立ち直らせるため
(5) 私の前世体験についての情報集め
(6) 科学で認識できることだけが全てではないことを訴えるため
(7) 論理的に見える人もこういう暗黒面を持っているということを知らしめるため
(8) このHPのアクセスカウントを増やすため
(9) 自己紹介・自己主張

2001年8月22日


 これまで、私の体験の内、奇跡的なエピソードだけを選んで書いてきたし、 そうやって続けていくつもりだった。  しかし一部を隠したままではどうしても話が続けられないことに気付く。

 私は考えた末、現在も私が所属して、愛している教会の名前を出すことにした。

   私はこのサイト上で布教活動をしているとは思われたくなかったし、 この教会がオカルト的なものだと誤解されて教会に迷惑を掛けるようなことを避けたかったので、 これまでこの教会のことを出さずに書いてきた。

 しかし納得の行く人間関係の説明や、私がなぜそのように判断して悩んだのかという 内面的な理由を説明をするためにはこれを隠したままでは限界があるのだ。

 この教会はこの物語の中では脇役的に登場する。  しかし、そっちの関係で知り合った人物も何人か登場することになるし、 私の価値判断の多くはこの教会から学んだことに基づいている。

 しかし、私の判断は私のものであって教会の責任ではない。  しかも当時は教義について正しい理解に達しているとは言えないものだった。

 私は今もこの教会を愛しており、正しいと信じている。  以前上の方で、この物語を書く目的を列挙したが、今、一つ追加しておこう。

(10) 伝道活動
 正直に言えば、誰かへの伝道になれば嬉しく思う。
2003年8月31日


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