毎日毎日、学校と家を往復する日々。 私は人生に疑問を感じ始めていた。
私がこうして勉強してる間にも、どこかで戦争が起きていて
沢山の人たちが苦しみ、死んでいる。
そして私は、今どこで戦争が起きているかも知らないのだ。
それは知っていたとしてもテストには出ないことだ。 いつになったら人はこの愚かさに気付くのだろう。 一体、誰がこの世界を救うのだろう。 神様はいるのだろうか? どこかで我々を見ておられるのだろうか。 神様はどこを見ておられるのか? 私はここにいるのです! 私は心の中で強く叫んだ。 その声は心の中のものだったが、自分でも驚くほどの声だった。
「この世でたった一人の本当の神様! もしおられるなら聞いて下さい! 私がなぜこのように叫んだのかは分からない。 私はただ一人の神様という概念を信じていなかったはずなのだ。 いや、信じるとかよりも前に、認めていなかったと言った方がいい。 もし一人の神様がこの世を治めているとすれば、それは独裁ではないか。 そんな独断が果たして許されていいものだろうか、と常日頃から考えていた。 横断歩道の信号が青になり、私はそこを渡った。 心の中は打って変わって、驚くほど静かになっていた。 この時、起こったことを私は涙なくしては語れない。 それはあまりにも意外なことだった。 主が私に答えられたのだ。
私の心に声が聞こえた。 何と力強い声。 父のような威厳と母のような優しさに満ちていた。 威厳と優しさが同時に響き渡った。 私はその言葉の意味が分かった。
「汝が信じるように我は全能なれば、 何だって?! 私の心は照らされ、喜びに満たされた。 かつてこれほどの喜びを感じたことはなかった。 嬉しくて仕方なかった。 その言葉の真意は理解できないが、その言葉は本当だと感じた。 それまでの悩みや疑問は拭い去られてしまった。 言葉はまだ続いた。 歩きながら私は注意して聞いた。
「私がこれまで人々のために何もして来なかったと思うのか。 これで言葉は止んだ。 再び静寂が訪れた。 私は今のことは何だろうかと考えた。 その表現は不思議だった。 何と自身のことを弁護し、憐れむ神様だろうか、と思った。 しかし嘘はなかった。 何か事情か目的がおありなのだ。 いや、私たちの知らないところ、人知の及ばぬところで働いておられるに違いない。 私を遣わした、と言われた。 しかし、私だけではない、というニュアンスが感じられた。 それと、我が聖典とは何のことだろう? 聖書なら知っているが、違うのか? そして、確かに「我が教会」と言われた。 それを「求めよ」とも。 この世界のどこかに、すでに神が認められる団体が存在しているに違いない。 探さなくては! 私の喜びは1週間その道を通るたびに蘇った。 そのたびに、あの言葉は真実であると、良心が私の心に告げた。
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