皆さんは「僕の地球を守って」という少女漫画を知っているだろうか? 「知っているだろうか?」は失礼かもしれない。 それこそ大ヒットし、社会現象にもなった(ひょっとして俺のコミュニティって小さいか?)作品である。 それはちょうど私が高校の頃から流行りだし、私の周りにもファンは沢山いた。 何しろ、無線部は漫研の談話室と化していたから。 「広江先輩はきっとこういうの好きだよ。」 などと勧められてはいたが、私は一歩遠ざかっていた。
さて、私自身の前世経験も一段落し、空虚な思いと闘っていた大学生の頃。 ズキューーーン!!
それは私の思いとシンクロし、私自身の経験と見事にオーバーラップした。 見事だ! 他の誰に分かるか?! それは俺なのだ!!!(ああ、いっちゃってるよ) 当時、自分のことをあの漫画の「シオン」だと錯覚するおかしな連中が 多くいたらしいが、俺以上に正当にそう主張できる者はいないであろう。 そうでなければ、ただの思い込みで日記にこんな詩が書けるか!?
もし今、この現実からさめて、別の幸せな世界に起き上がったなら、 なんてつらい夢を見ていたのだろうと泣きじゃくるかもしれない。 しかし今は泣かない。 これは夢ではなくて現実なのだから。 1992年2月10日21:30 何の希望もなく・・ オレの心をこじ開けようとしたヤツは前にもいたさ しかし、君もそこに立ち止まって見ているだけなのか 開けたからには入ってくるんだろうな? いつもそうだ みんなそこから出ていこうとする 心の中をのぞかれたオレは前よりも固く扉を閉める もうこれ以上傷つかぬように 軽々しく扉を開けてしまった自分を責めながら 「ああ、輪君すきすきだいすき〜!」なんて言っているファンの連中は 俺がここにいることに気付きもしないのだ。 そんな俺のテーマソングはアルフィーの「My Truth」。 いつも本気で夢を追いかけなくちゃ、本当のことは分からないんだ!!
「俺たちのことを漫画にしたらすごいだろうね。」
なんて会話をしたのが何度も思い出される。
「ぼく地球」の人気が高いので商業主義がこれをアニメ化しようとするのは当然の成り行きだ。 俺も友人もこの発表をとても楽しみにした。 その友人というのは、絵描きとして家族を養っていて、「ぼく地球」に出てくるモク=レンの父親に 風貌も性格も似た繊細な男であった。 (後に自殺してしまった。) しかし、出来てきた作品を見て俺はがっかりだった。 「芸術家」の方はこれをすごく綺麗な作品だと言って大はしゃぎだったが、 俺は紙芝居的なその作品のテンポに耐えられなかった。
「あーっ!そこは強調しなきゃ作品が生きないのに!」
そして怒りの余り叫んだ! 当時の情熱なら俺には描けただろう。 それは「トップをねらえ!」のようなテンポで描かれるべきだと信じていた。 もっと残酷で、裏切りと謀略と見えない恐怖に満ちているべきだと信じていた。 その手の作品は、エヴァンゲリオンの出現を皮切りに氾濫、乱造されたものだが、 大抵はグロくて下品なだけだと思っている。 私の目に適うためにはもっと精神的なものでなければならない。 まあ、当時そんなに流行った作品も、少女漫画にありがちな、 当り障りのない静かな終わり方だったので途端に人々の熱も冷めてしまったようだ。 そして、アニメの方も今では誰にも思い出されることのない埋もれたものになってしまった。 「11人いる!」なんていまだに話題に登るのに比べればなんと短い寿命だったか。
話はすっかり変わるが、「魔方陣グルグル」もアニメはひどいものだ。 声優は合っとらんわ、ボケと突っ込みのタイミングは最悪だわ・・。 商業主義にかかると、当てられた時間枠にあわせて妙に引き伸ばさなきゃならんから 作品が死んでしまう。 あれだけ素晴らしい漫画なのになぁ。 もったいなすぎる。 アニメ版「金田一少年の事件簿」もやり方ヘタだよなぁ。 セーラームーンは初めの作品に限ってはアニメで成功してると言える。 「ちびまる子ちゃん」や「クレヨンしんちゃん」もアニメで成功した例だ。
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