生まれた記憶

内容を正しく表していないこのタイトルが、
自分は何となく気に入ってるんだなぁ。

2003 年頃に書いたものを 2010 年になって発表しました。
多分その頃は、親バカぶりをあまり表に出したくなかったのだと思う。


 私の息子が生まれてそろそろ半年になるのだが、 やっと寝返りが出来るようになった。

 いや、なかなか自分では覚えないので、 逆上がりを手伝う時のような要領で手助けをしてやって覚えさせたのである。  一度、コツをつかむと喜んで繰り返す。

 と言っても、うつ伏せに寝かせると 喜んですぐに仰向けになるというものであって、逆はしない。
 お前はそんなにも寝ていたいのか!?  早くハイハイを覚えて欲しいのだがこの寝返りでは役に立たん。  自分で移動したいとは思わんのか!

 子供を育てていると、自分の子供の頃を思い出す。  初めて歩行器に乗せてもらった時のこととか。  あの歩行器はその後、私のお気に入りだった。

 初めてハイハイが出来るようになって、 楽しくて部屋中を探検した時のこと。  じゅうたんの隅から畳がのぞいているのを発見したときの驚きと喜び。  静かで不思議な感動。  落ちているゴミをとりあえず口に入れてみたくなる誘惑。

 離乳食を食べ始めた頃の記憶。  母に噛んでもらったご飯を口移しでもらったものだ。

 あれ?  あれは生後6ヶ月頃の記憶だったのか!  すると、頭の上でくるくる回るおもちゃを見ながら 身動きできずに寝ていたのはもっと前の記憶に違いない。

 ずっと、子供の記憶はもっとあいまいなものだと 聞かされて来たので、 疑いもせずに検証もせぬまま2歳か3歳頃の記憶だと信じてきた。  子供がいつごろから這い始めるとか歩き始めるかとか、 全く関心がなかったので仕方ない。

 自我がいつ生まれるかって?  自分はあの頃の自分の思いを知っている。  言葉が話せないし、表現手段を知らないので 敢えて表現しないだけであって、かなりの状況を把握していたし、 関心を持って情報収集に努めていた。

 大人の話には分からないことが多かったが、 雰囲気だけはちゃんと掴んでいる。  無理やり寝かされて、寝たくないなぁと思いながらも仕方なく寝たことや、 「いないいないばあ」をして遊んでもらう時のあの、「ばあ」の瞬間を来るぞ来るぞと待つときの楽しさ、 「たかいたかい」をしてもらうときに、 スリルへの期待とその場の雰囲気によって笑わないではいられないあの感覚。  そしてやがて眠くなって、こんな繰り返しが一体いつまで続くんだろう、とうんざりしたこと。

 今考えてみるに、これは何かに似ている。  体の中から自然に沸き起こってくる未知の感覚と衝動。  しかしそれをうまく表現する手段を持たないことからくるじれったさ。  思春期に経験するやつだ。

 自分を表現するための色々な方法を身につけるのは こんなにも大切なのだなぁと思う。


2010 年追記。

 新たな衝動と表現力とのギャップは、もちろん、おじさんになっても訪れることがある。


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