私の学生時代


力学のページの感想のところに隠してあったのを引っ張り出してきました。

高校時代

 私は高校の時、落ちこぼれだった。  進学校に中くらいの成績で入学して少し順位を伸ばしたこともあったが、 2年の秋から成績が下がり始め、3年の中頃には後から数えた方が早かった。  私の学年は五百数名いたが、私は五百番台にいたのだ。  しかし、自信だけは消えなかった。

 これだけ成績が悪くても、私が何かを一生懸命考えていることは 他の生徒たちも認めてくれていた。  煽動は私の得意分野だった。

 自信があることだけが自信の原因だったとしても、 自信さえあれば、人はついてくるものである。

 先生の目には私は危険に映っていた。  それでも、私が書いた「教育のあり方」や「自然破壊について」や、 「学生の本音」についての文章はたびたび取り挙げられて、先生によって 全校に配られたりしたので認めてもらえてはいたようである。

 私の敵は「先生」とか「学校」などではなかった。 「校則」や「制服」はむしろ愛していた。

 では敵は何だったのか?  自分の無知についてかも知れない。  受験が終わらないと好きなことも学ばせてもらえないという「制度」かも知れない。  今から考えれば、私が方法を知らなかっただけなのだ。  ただ、そう信じ込まされていたし、私はあまりにも「無知」だった。

 政治家を目指していたクラスメートが、他校の生徒を「頭が悪い」と言って 馬鹿にするのを聞いて勉強が嫌になった。  人を高慢にするだけの学問なら何の意味があろうか!

 私は学生時代に丸暗記に異常な嫌悪を抱いており、 三角関数の公式などは一切憶えようとしなかった。  今なら憶えるのにそれほど苦労もせず、遊び感覚で憶えられるのだろうが、 当時の私は「受験のため」には何もしたくなかったのだ。

 それだけだと格好のつけすぎだ。 成績の落ちた理由は他にもある。 高校時代は、ブルーバックスを読みあさっていたし、電子工作の趣味にも ふけっていたし、政府とつながりがあると主張するある男と知り合いになり、 聞き出した情報をもとに反重力装置開発の実験も繰り返していた。  結局、だまされていたのだ。 そして、好き勝手なことをしていただけだ。

 それで、テストの出来は最悪だった。  余りに成績が悪いので推薦書を書いてもらえないほどだった。  しかし、大学入試などでは問題数の割に時間が多く与えられることが多いので、 暇つぶしにその場で公式を作り出すことが出来た。  合格通知を見せに行った時に先生が見せた 「何でお前のようなやつが」と言わんばかりの驚きの顔は愉快であった。

大学時代

 大学に入りさえすれば好きな学問が自由に出来ると信じ込まされていた私にとって、 大学は失望だった。  そこで騙されていたことにやっと気付いた。 ずっと同じ事が繰り返されるだけなのだ。  流される者になることを決め込んだ者にとっては楽なシステムであり、 明確な進路を見出している者にとっては、利用しやすいシステムである。  しかし、流されたくはないものの、どうしたら良いのかを見出せないでいる者にとっては 罠となりやすいシステムである。

 大学の講義はいくら聴いても分からないということに、もっと早く気付くべきであった。  自分だけで勉強すべきであった。  そうすれば、講義が分からないという劣等感を持つことなく教官を質問攻めに 行けた事であろうに。

 もっと早く大学に頼るのをやめて、 講義には「レベルの偵察」のためだけに行けば良かったのだ。  しかし、何か得るものがあるだろう、との期待にまた講義に出て、無駄な時間を使う。 「良い子」は授業をサボらない、と小学生の頃から叩き込まれた常識が 私をまた講義へ連れ出す。

  中途半端に提出を求められる「レポート」の存在が、また私を講義へ連れ出す。 大して役にも立たないのに気付かずに講義への出席に救いを求める。  それでなかなか、自立する決心がつかない。

 馬鹿な行動だ、と思うかも知れない。 つまり、あまり一言で片付けられたくないのだが、事実、要領が悪かったのだ。


お勧め勉強法

 高校生でも、大学生でも、同じような悩みがあれば早く気付くようにお勧めする。

 自分で勉強するのだ。  早すぎることはない。  いつだって始めれる。  高校生が電磁気学を勉強して出来ないことがあるものか。  周りに質問できるだけの人物がいないだけである。  いなければ探せ! 本当に知りたければ探せ! 探す方法はある。  知らないだけである。 知らなければ考えろ。 方法は必ずある。  誰かが「まだ無理だ」と教えても、ウソだ!  良い先生は「出来る!」と教える。  ついでに出来る方法も教えてくれる。  君に必要なら「自分で考えろ!」と言ってくれるだろう。  しかし、面倒臭がって同じ事を言う人もいる。  ウソを見抜け!  大学のカリキュラムに従うことはない。  いきなり量子力学を学んでもいいじゃないか。  今出来なければ、2年待ったからといって出来ると思うな。  難しければ、なぜ難しいかを考えろ。  自分がそれを理解するために何が足りないかを考えろ。  無駄になることを恐れるな。  もし無駄になっても、それが勉強だ。  無駄にならない方法を考えろ。  世の中には簡単なことを難しく説明する才能を持った人が幾らでもいる。  彼らに惑わされるな。  この難しい世の中からどうやってなるべく簡単に学んでいくかを 学ぶのが最大の勉強なのだ。  それが出来なければ、初心者だ。  実は私も初心者だ。  授業に頼るな。  自分で疑問を持ち、自分で調べるのだ。  その時に、授業は答えを与えてくれることがある。  先生や本は必ずしも正しいとは限らない。  彼らのウソを見破れ!   「学問に王道なし」とは言うが、王道はある。  世の中には王道を見つけていない人が多い。  王道を見つけるのは、良い先生を見つけることだ。  王道を行くのは決して楽ではない。  しかし、かつて王も通った道なのだ。  自分をどこへ連れて行くか分からない者から幾ら話を聞いても無駄である。


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