洗脳がそんなに怖いか!

日本人の科学離れより
むしろ宗教離れの方が深刻な問題だ。


 洗脳、洗脳とやたら洗脳を怖がるが、 人は自分で考えるのをやめた瞬間から何かに洗脳されている ことを自覚しなくてはならない。  私が思うに、日本人はメディアを通して 「洗脳は恐ろしいものだ」という洗脳を受けてしまっている。

 メディアはこう語りかけている。 「洗脳は怖いものです。 気をつけましょう。  私たちの言うことを聞いていれば大丈夫です。  私たちは洗脳をするつもりはありません。  その証拠に、今怖いですか?   洗脳は敵がすることです。 私たちは味方です。  敵は他にいるのです。」と。

 私は洗脳が悪いものだと思わないし恐いとも思わない。  それは日常茶飯事だからだ。  洗脳がその名の通り、脳を洗ってきれいにしてもらえるならいいことである。  しかし問題なのは、多くの場合、私たちの思いはレベルの低い考えによって 常に汚されている一方だということである。

 注:洗脳が悪いものではないという意見に反対もあろうかと思うが、 本当に悪いものは「強制すること」であると私は考える。

 日本人の宗教音痴にはあきれるばかりだ。  神社仏閣にお参りに行くことが宗教なのか?  お経や念仏を唱えることが宗教なのか?  盲信して教祖に何でも従うことが宗教なのか?  日本人の多くは表面上は宗教に理解を示すふりをする。 「人の宗教にはとやかく言わないよ。」 「人が何を信じようとその人の勝手さ。」  しかし自分はどうなんだ? 求めているのか? 実践しているのか?

 人は何かを信じないでは生きては行けず、 どんな人でも自分なりの宗教を持っている。  「俺は何も信じない」という人は「何も信じない教」に入っており、 何の集団にも属していないと信じており、 自分は何も信じていなくてもやっていけると信じている。  しかし現実的に、何も信じていなければ計画的行動は何も出来ないはずなのだ。

 日本人はどうにも宗教に対して否定的イメージが強いようである。  それはよりよい宗教を求める努力を怠った結果である。  気が付けば周りにはレベルの低い宗教ばかりが溢れる事になってしまった。  この状況を危機的であると受け止めるべきである。  宗教に対してよいイメージが持てないのは、 より良い宗教を求めなかったからなのだ。  日本人よ、いつまでもこんな貧弱なレベルでいいのだろうか?

 宗教は何か奇異な集団に入って奇異な行動をすることだろうか?  いや、宗教はその人の生き方そのものなのだ。  そして自分を最高のレベルまで高めていく原動力、あるいはその行いそのものなのだ。  そのためには、危険が伴うがまず何かを信じなくてはならない。  先ほども言ったように計画的行動には何らかの事柄を信じることが必要だからである。  しかし、自分でよく考える人は危険を最小限にすることが出来る。  いつでも軌道修正が可能だからだ。

 自ら考えることをやめた日本人こそ、私にはカルト集団と大差ないように見える。

 だから私はみんなに「自分で考える」ことを勧めたい。  これが私の宗教であり、実践していることであり、 この文章は宗教勧誘そのものである。

 宗教なんてのは、誰かが誰かにより良く生きる知恵を教えた瞬間から いつでも起こり得るのだ。 おかしな偏見は捨てようではないか。  父が子供を諭しても、神様が人間を諭したとしても同じように宗教は生まれ、 世代を超えてその教えは伝わってゆくものなのだ。


 世界の各地で宗教戦争が行われているのを耳にして、 多くの日本人は嘆いて次のような言葉を口にする。

 「宗教なんてなければ戦争がなくなるのに。」
 「どうしてあんなものを信じているのだろう。」

 ああ、気付かないのか!  その考えこそ相手の宗教の否定。  すでに宗教戦争に一歩踏み込んでいるのだということを。  この考えは日本人の代表的な宗教なのだ。

 理解を示して歩み寄ることの方がいかに大切なことか。

 科学のふりをした偽宗教に目をくらまされ、魔女狩りをする国民よ。  知ってのとおり、答えは本当はとても簡単なところにある。  しかし、逆は必ずしも真ならず。  安易な道には間違いも多いのだ。


 この文章には実は大きな嘘があることを知っている。  だからこのまま発表するのは気が引けた。

 実は、日本人は考えていないわけではない。  もちろん、考えていない日本人が増えてきているのは問題だ。  しかし賢い人間はまだ非常に多くおり、豊かな見識を持っている。  私がここで述べたような考えは珍しくも無くて、 すでにどこかで聞いたことがあるだろう。

 しかし考えただけでは何も変わらない。  本当は知っているのに、実行していないだけなのだ。

 なぜって?
 じっくり考えた結果、実行すると損をするのが分かっているからだ。 


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