スチーム・ボーイ

また騙されちゃったよーん。


この記事について

 「スチーム・ボーイ」は 2004 年の夏に公開された映画だったな。  あの『AKIRA』の監督の 9 年掛かりの作品だというのでかなり期待したし、 実際に世間でもかなり期待されていた。

 しかし残念ながら、一言で言えば失敗作であった。  どこが良くなかったかをすぐに記事にするつもりでいたのだが、 期待したほどの作品でないことはすでに多くの人が認めているような状況だったし、 追い討ちをかけるのも不憫に思えて、ついに発表しなかったのである。  私だって、色んな作品への文句ばかりを記事にしたいわけじゃない。

 それでも、内に溜め込んだ気持ちが抑えられず、 関連の話題が掲示板で出たときには、ここぞとばかりに感想を書きつけたことがあった。  今回の話はそれらを集めて再編集したものである。

 なぜ今更それを発表する気になったかって?  あの時書いた文に気持ちがこもり過ぎてて、時々この映画のことを思い出すたび、 表に出してくれ、と私の心に叫ぶんだよ。


映像そのものに力を入れちゃうのね

 まずは良かった点から書いておこうか。  歯車のアニメーションがとても綺麗だった。  多分、大友監督はこれが一番やりたかったのだろう。  今まで誰も見たことがなかったような映像を、 人々の目の前に現実のものとして表現し、その手の技によって感動を与える。  そういうのは芸術家たちの目指す方向の一つだ。

 この少し後で発表された「ハウルの動く城」だって、 「宮崎監督はただ城を動かしたかっただけじゃないのか」という話が聞こえてくる。  こういう、新たな映像美の追求の欲求は多くの映画監督が持っているのだろう。

 だが、そんな事ばかりやられても付いていけない人も多い。  エンターテイメント性も重視してくれなくては・・・。


映像以外の表現はどうか

 映像の綺麗さ以外はさっぱりいかん!  空の高さが描かれてなかった。  スチーム城から見降ろすシーンは足元から見せないといけない。  「高ーい!」なんて言いながら遠景しか見ないなんてことがあるか?

 2 階の高さから落ちて平気なんてことがあるか?  2 階の高さの恐怖が描けない者は幾ら舞台を高くしても無駄だというものだ。  「ラピュタ」はその点、よく表現されていた。  パズーが屋根から飛び降りれば天井のレンガが崩れ、かなり痛い思いをするのだ。

 元々こちらの主人公には空を飛ぶことへの遠い憧れなんてものは無い。  それが、突然、いとも簡単に飛んでしまう。  憧れはその実現の難しさに比例するものではないか。  それなのに、恐る恐るバランスを取りながら浮上する不安と感動のシーンさえない。

 さらに、主人公にはポリシーがない。  なのに突然でかいことを言い出す。  まったく、馬鹿にすんなよ。

 まだある。  人が死ぬシーンがきれい過ぎる。  砲弾が炸裂すれば、鼓膜が割れて発狂する人だって出るはずだ。  石が飛び散れば裂傷も当たり前。  刺激の強い表現を避けたのかも知れないが、これでよくリアルだなんて言えたものだ。

 ヒロインも、人の命など大切になんかしていなかったはず。  人の命の尊さを描くなら、それを大切に思う人物のことを丁寧に描かないといけない。  命の重さは、多くの人にとって相対的な価値を持つものだからだ。  その映画の中での命の重さの基準を描いておかないといけない。  人が死んじゃいけない映画なのか、少々の犠牲は笑い飛ばして済むような映画なのか。  あらかじめ示しておいてくれないと。  突然の「何これ、人が入ってるじゃない!」なんて一言で済むと思うなよ。

 18 世紀の風景だけ真似しているが、当時の魂が全く真似できていない。  単なる知識自慢にしかなっていないってものだ。  そういうのはこっそりやればいいんだ。

 普通の少年少女を描いていたらダメ。  これで共感を呼ぶとでも思ったかなぁ?  誰でも持っている感情を大げさに表現しないと共感しないよ。  エヴァンゲリオンはそういう手法を取って成功していると思う。  他にも「銀河鉄道 999」も今にして思えばそういう手法だった。  日常に似てはいるけれどどこか極端な世界、 極端な人々、ある一面だけ行き過ぎた世界を描くことで共感を生んでいた。

 キャラクターを「誇張して描く」ってのは漫画なんかではもう確立したテクニックで、 世間一般にも当たり前になり過ぎてしまって、今更私が言ったところで新鮮味も無いんだろうけれど。

 若者に、今のままの自分でいいんだ、なんて思わせてはダメ。  「ああなりたい!」と思わせなくては。  精神的な差を見せ付けなくては!  「主人公はごく平凡な男の子」なんてものにはもう飽き飽きだ。


あと科学とか

 無限のエネルギー!  蒸気を噴き出し続ける、夢のデバイス!  物語序盤に突き付けられるこの設定だけでもう食あたりを起こしそうだったが、 そういうのが可能な架空世界の物語なんだと言い聞かせて、何とか飲み込む。  それが出来ないほど頭が固いわけじゃないぞ。

 しかし全く失望したのは、ボイラー事故の悲惨さについて何一つ描かれていないこと。  それと、回転する歯車に平気で手を近づけるような「偽物の技術者」が平気で描かれている。  なぜだ!?  誰も危険回避をしないではないか。

 何がリアルだ?!  何が描きこんであるだ?!  形だけじゃないか。  技術者たちの魂が何も描かれていないじゃないか。

 アメリカ映画を見ると、 「アメリカ人は原爆をただの強力な爆弾程度にしか思ってないんだなぁ」とため息を吐きたくなることが多いが、 他人のことは言えないなぁと恥ずかしくなった。  ボイラーに近付く無謀さ、それを背負ってしまう危険、蒸気の火傷の怖さが何も伝わってこない。

 平和な世界の人が描いた、能天気な物語だなぁ、と思った。  もちろん、別の角度からの鑑賞も出来るのだろうが、私の関心はそっちへは向かなかった。  ゴスロリファッション?  おでこちゃん?  知らん。


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