記事の修正作業を始めようと思った
この相対性理論のページを作ってから約 20 年が過ぎた.色々と間違いがありそうなので,徹底的に内容を再確認して修正,加筆してやろうと思った.
今となっては大げさな表現も多いだろう.色んなことに感動しながら書いたせいに違いない.そういう部分も書き直してやりたい気がしているが,せっかくの勢いを殺してしまいかねない.分かりにくくなっていなければそのままにしておきたいと思う.
最初に「目標と方針」を読んで,面食らった.かつての自分はそんなことを考えていたのか.ちょっと恥ずかしくなってきた.
かなり大それた事を言ったものだ.「(相対性理論の)表現形式が私の哲学から言って気に食わない」から別の方法を模索したいだと?かなり野心的だ.
当時の自分は数学を嫌っていた.苦手だったというのもある.あるいは,数学に頼りすぎることを警戒していた.
今は少し違う.数式を見ればそれに関係した物理現象をいくつも思い描けるようになったし,物理現象を見ればそれをどういう数式で表したらいいかを自然に思い付けるようにもなった.うーん……どうやら今の自分も相変わらず自信家のようだ.控えめな表現に変えよう.少なくとも昔ほど数学で苦労しなくて良くなった.
「数式を扱えても現象が見えていない人」というのは今でもたまに出会うから,その警戒感は大事だと思う.ひょっとすると今の自分も数学の罠に落ちているかもしれない.
当時の自分は,まだ色んな分野のことを知らなくて,自然界の根本の法則は単純に違いないと強く信じていたのだった.単純な原子が集まって複雑な生命が生まれるように,複雑に見えているこの世界も,ごく単純な原理から成り立っているのだろうと考えていた.ところが,その信念は私の 20 年で打ち砕かれた.原子について学べば原子も相当に複雑であることが分かってきたし,量子力学は相当に不思議であって奥が深いし,素粒子論では想像もしていなかった高度な数学が必要になる.もちろん高度な数学が必要になることは昔から知っていたけれども,そのような高度さは見せかけのものであって,もっと素朴な仕組みから導かれるものに違いないと信じていた.単純な粒子の足し算や引き算で何もかもを表せるに違いないという楽観的すぎるイメージだ.
物理学者たちは多分難しく考えすぎているので,自分ならもっと単純な形に再解釈して解きほぐしていくことが出来るだろうという自信を持っていたのだった.
しかし私の自然界へのイメージは,かなり変化した.どうやらこの世界は根本的にかなり数学的であるらしい.しかもその構造は,人間の認識力の限界を試すほど複雑なものである可能性がある.世界は触知しうる粒子のようなものから出来ているのではなく,実体を持つ媒質の上の波などでもなく,そのような「複雑な数学的構造」の上を行き交う「情報」という,どうにも捉えどころのないものがその本質かもしれない.
話を相対論に戻そう
ミンコフスキーは,時間と空間は不可分であり「時空」として捉えるべきものだという考えを広めた.時空が「ミンコフスキー空間」という数学的構造を持っていると考えさえすれば,もうそれだけで特殊相対性理論はすっきり説明できるというわけだ.
アインシュタインはそのような考え方に反発心を抱いたようである.しかしやがて,そのイメージを受け入れるようになった.
アインシュタインについて知りたければこんな伝記はいかがでしょう? 科学的な説明には多少不正確な部分がありますが、気軽にすぐ読み終えることができるという点でとても良いと思います。 もっとしっかりした本が読みたければ巻末の参考文献が役に立つでしょう。 |
私もそれに似ている.20 年前に私が気に入らないと言っていたのはまさにそのあたりのことであった.私が知りたかったのは,なぜ光に上限速度があるかという根本のことであって,数学できれいに表せるからといってそこで満足できるようなものではなかったのである.
今の私はそれについてどう考えているかと言うと,(重力によって時空が曲がっていない状態であれば)時空は「ミンコフスキー空間」という構造を持っているというのは確かであって,光の速度に上限があるのは,時空の構造がまさにそうなっているせいである,というものである.我々はそのような性質を持つ時空の中でたまたま生まれたのである.それ以外に種も仕掛けもない.
20 年前の私にしてみれば吐き気をもよおすような考え方だ.
このような考え方を受け入れるに至った根拠はある.素粒子論では群論という数学が重要になっている.20 年前の私は群論については名前を聞いたことがあるという程度でしかなかった.群論によって時空の対称性についてどのような可能性があるかを徹底的に議論できる.それは私には手に負えないほどの複雑さである.そして,その対称性を当てはめることによって,この世界で起きる法則の形を絞り込めてしまうのだ.
この世界がどのような対称性を持つ数学的構造になっているのかを知ることが,根本の物理法則を知ることと結びついているらしい.
あと少し言わせて
これから相対論を学んでいこうと思っている読者にいきなり難しい話をしてしまって申し訳ない.あと少しで終わるので,さらっと聞き流してほしい.
上では,このような数学的構造を持つ世界に生まれたことをそのまま受け入れるしかないという心境になっていると言ったものの,我々の住むこの世界がミンコフスキー時空になっていることはどうも自然な感じがしない.4次元的距離を考えたときに時間だけ符号が違うのはどうにも気持ちが悪いと思うのである.言い換えればこの宇宙がローレンツ変換に対する対称性を持っているということなのだが,そのような宇宙が生み出されたことにはどの程度の必然性があったのだろうか?
最近になってその辺りのことが気になって検索を掛けてみたのだが次のような記事が見付かった.
『素粒子の理論はなぜローレンツ不変なのか』(中西 襄)
「素粒子論研究 HOME PAGE」というページの「Volume 15 (2013年7月16日発行)」というところからリンクされているPDFです.
どうやら量子重力について考えていくと,理論がローレンツ不変であることを人為的に仮定しなくても,それが自動的に導かれてくる可能性があるらしい.もしこれが本当なら,これこそ私が探していた答えだ.速度に光速の上限があるのも何らかの理論的な結果であり,「たまたまそういう構造の世界に生まれた」としか言えないよりもずっと良い.最近の最先端の研究がこのような問題を解き明かそうというレベルにまで達していることはありがたい限りだ.
さて,これでだいたい言いたいことは言い終えた.今回もかなり偉そうなことを話してしまった.今からさらに 20 年後の私はこの文章についてどこを笑うことになるか楽しみである.
結局何が言いたかったか分かりにくくなってしまったので最後にはっきり書いておくが,執筆開始から 20 年近くも経ってしまって思想も理解も大きく変わってしまった同一の著者の手が入っていて,ちょっと話の流れがぎこちなくなってしまっているかもしれないことの言い訳をしたかっただけなのである.
光速に支配されていた恐怖を……