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化学の歴史(前編)

化学のこと、全然知らなかったな。
作成:2021/6/2

古代から錬金術の時代

化学の歴史は古い.物質とは何だろうかということを人は昔から考え続けてきた.考えるだけではなく,色んな物質に手を加えて変化させてきた.

火をおこしたり,料理を作ったり,土をこねて焼いて陶器を作ったり,ガラスを作ったり,金属を溶かして刃物を作ったり,叩いて武器を鍛えたり,お酒を作ったり,染料を作ったり,火薬を作ったり.

それらの技法は秘伝のような形で代々伝えられ改良されてきた.継承がうまくなされずに失われた技術も多くあったことだろう.

およそ産業革命以前の長い世界の歴史では戦争や飢饉や疫病による街の消失が当たり前のように起きていて,文明崩壊とともに貴重な知識が世界から失われていったのである.それらの危機を乗り越えて存続する大図書館という存在はとても重要だった.今のところ何とか数百年存続している今の世界的文明も明日はどうなるか分かったものではない.

様々な物質を作り出す技術は12世紀頃にイスラム世界からヨーロッパに伝わって錬金術と呼ばれ,とても流行った.富を求めて,安い材料から高価な金を作り出してやろうという動機があったのだ.そのような研究の過程で様々な化学物質が発見されたが,まだ科学的な説明はされなかった.霊や魂や人間性などの神秘思想と結びついていたのである.金を作ることには成功しなかったものの,不思議な性質を持つ様々な物質が古い書物の通りに作り出せるのはそれはそれは楽しかったことであろう.


一気に18世紀後半

古い時代の話もあれこれ調べていくと面白いのだが,私はこれから現代的な化学の説明をしていきたいので,このあたりの紆余曲折はすっ飛ばして,まずは「近代化学の父」と呼ばれるラヴォアジェを紹介しておこう.

一方,現代化学の父」と言えばライナス・ポーリングの名前が挙がる.化学結合の説明に量子力学を取り入れた先駆者である.あとで話そう.「近代」と「現代」の違いが大事.

そのために18世紀の後半あたりにまで一気にジャンプする.この時代,ニュートンは既に100年前の人であり,ニュートン力学的な世界観による身の回りの現象の説明が進んでいた.蒸気機関は使われ始めていたが,ワットによる改良が行われる直前くらいであって,熱力学はまだ発達していない.例えば,ボイルの法則はあったがシャルルの法則はまだである.ボルタの電池は18世紀の終わり頃なのでまだ発明されていない.あと数十年待たねばならない.しかし錬金術の研究のためにガラス器具を作る技術は進んでいた.そんな時代である.

ラヴォアジェは化学変化について精密な測定を行った人であった.化学反応の前後で質量が変化しないという「質量保存の法則」を発見した.この法則は今では当たり前のことではあるが,こういう確認の積み重ねで世界は理解されていく.

ラヴォアジェは,物が燃えるという現象は酸素との結合であると見抜いた.それまでは燃素(フロギストン)という架空の物質の存在が広く信じられていたのである.燃焼とは物質からフロギストンが抜ける現象であると理解されていたのだが,事実はその逆であった.反応後の物質は酸素と結合することで反応前より重くなっていたのである.このことから,フロギストンのような物質を仮定するのは不合理であるとして排除された.

このような発見ができたのも精密な実験によって「質量保存の法則」を得たお陰である.



19世紀前半

この後の化学の大きな進展は何が挙げられるだろうか

先ほど少し話したボルタの電池の発明が重要だと思う.1800年のことである.これにより人類はようやく定常的に流れる電流を使うことが可能になった.

電磁気学で有名なファラデーはこの少し後の人物であって,彼は電気分解の実験も行った.物質は電気によっても変化させることができることが分かったのだ.物質は電気とも深い関わりがあるという理解が進んだのである.こうして「電気化学」という分野が生まれた.

電流の強さと化学変化の量との関係が精密に調べられることになる.精密な測定による実験化学,万歳だ

さて,ボルタの電池の発明と全く同じころ,ドルトンが「原子説」を発表した.物質というものは,生成も消滅もしない,それ以上は分割不可能な粒から出来ていると考え,化学変化はその結合や分離で説明できるという説である.

これは彼が単に自分の考えを述べたというような話ではない.もしそのような原子というものがあるのなら,さまざまな物質の原子の重さというものが決まっているはずである.彼はそれを実験によって求めて,その表を作って発表したのである.

もちろん,現在知られているような本物の原子の質量を得られたわけではなく,水素の原子の質量を 1 と仮定した場合の相対的な質量を求めたのだった.人類が精密な実験と推論によって一歩一歩進んでいくさまは感動である.

同じころ,シャルルの法則が発表され,ボイル・シャルルの法則が完成する.これにより,理想気体の状態方程式という考え方が使えるようになった.

ボイルの法則が体積と圧力の関係で,シャルルの法則が体積と温度の関係である.これはゲイ・リュサックによって初めて世に知られることになるのだが,歴史を調べ直してみたらシャルルの方が十数年前にそれを行っており,今ではシャルルの法則と呼ばれている.キャベンディッシュはそれよりもさらに前に同じ法則を発見していたことが死後の文献整理で明らかになるのだが,自分の発見をほとんど発表しなかった奇人なので世間への貢献者とは言い難い.さらにドルトンも独自に同じ結果を得ていたようである.この頃の科学や数学は,発見したことの全てを先を争って公開するという文化はまだなかったようだ.

まぁとにかく,このあたりの時代に,化学変化の前後の気体状の物質の量を,体積や質量と関連付けて計算することが可能になったのである

早く現代へとたどり着きたいのだが,そう甘くはない.まだまだ多くの障害を乗り越える必要があった.


分子説までの長い道

次の大きな進展は 1811 年に発表されたアヴォガドロによる「分子説」である.ドルトンの原子説では同種の元素どうしが結びついて一つの粒として振舞うという考えがなかった.しかし彼は気体は二つの原子が結びついて出来ているのではないかと主張したのである.ところがこれは彼の存命中は無視された.アヴォガドロが亡くなったのは1856年だったからそれ以降だ.具体的には1860年に開かれたカールスルーエ国際化学者会議でのカニッツァーロの発表によって再評価された形である.

今では当たり前になっている分子という考えを受け入れるのがなぜこんなに遅れたのだろうか調べてみると色んな要因が浮かび上がってくる.まず,アヴォガドロ自身が自説を実証するための実験を行っていないことだ.言うだけの人はなかなか評価されないのである.

当時,分子説の根拠がどれだけあったかというとかなり怪しい.気体どうしの反応が体積の整数比で起こるらしいということは知られていた.アヴォガドロの主張の一つとして「全ての気体は同じ体積中に同数の分子を含む」というものがあったが,原子説のドルトンも明確に主張しなかっただけであって,「気体の同じ体積中に含まれる原子の数は同じ」だという考えを持っていたようである.

水素と酸素は体積比 2:1 で反応が起こる.この反応の結果として作られるのは液体の水であるが,もしこれを 100℃ 以上に熱して気体の水蒸気にして,気体の状態方程式に当てはめて同温度での体積を比較すれば,体積 1 の水蒸気しか得られないことになるはずなので,原子説が少し揺らぐだろう. 数式 実際は体積 2 の水蒸気が得られるはずである. 数式 しかし同じ体積中に含まれる気体の粒子の数が同じだというのはまだ仮説に過ぎないので,原子説を否定する根拠としては弱い.しかも証拠となる例が少ない.上で挙げた水にしても,わざわざ熱して水蒸気にして比較しなければいけないのだから,身近で深刻な問題だとも思えない.

分子説の弱さはまだある.同種の原子どうしが引き付け合って分子を作るなら,ぶどうのようにもっといくつもの原子がつながってしまいそうなものである.なぜ 2 個つながっただけで満足してしまうのだろうか.分子説を受け入れれば余計な疑問が増えるだけである.

そもそもこの時代,まだ原子というものが理論上の便宜的なものであると考えられており,実在するものだという認識がなかったようなのである.それについてはもう少し後で話そう.



有機化学の勃興

分子説が無視されたさらにもう一つの理由は,この頃から有機化学が流行り始めてしまい,それどころではなかったということが挙げられる.

18世紀の終わり頃には,生物から様々な物質を抽出することが行われ始めていた.酒石酸,シュウ酸,尿酸,乳酸,クエン酸,酪酸,シアン化水素などはシェーレが1700年代後半に次々と発見している.

他の有機物質はどれくらい発見されていたのだろうかちょっと気になるので脱線してみよう.軽く調べただけではシェーレの名前しか出てこなくて面白くなかったのである.

アルコールは紀元前からあるので,化学物質として認識された起源がどの時点にあるのかははっきりしない.
酢も同様に紀元前からあるが,蒸留によって初めて酢酸として抽出されたという記録は8世紀に存在しているらしい.イスラム圏の錬金術師ジャービル・イブン=ハイヤーンという人物によるらしいが,架空の人物ではないかという話もあって面白い.
コハク酸は1546年にドイツの鉱物学者ゲオルク・アグリコラが発見している.琥珀を煮詰めた.
ギ酸の単離は1671年にイングランドの博物学者ジョン・レイによって行われている.蟻を煮詰めた.
グルコース(ブドウ糖)の単離は1747年にドイツの化学者アンドレアス・マルクグラーフによって行われている.レーズンを煮詰めた.
スクロース(ショ糖)の発見もこのあたりの時代なのではないかと思うが,発見者は探し当てられなかった.
アミノ酸の初めての単離は1806年にフランスの化学者ボグランとロビゲによって行われている.アスパラガスの芽から取り出されたアスパラギン酸である.
グリセリンの発見者としてあのファラデーの名前が出てくるあたりは驚きである.1825年のことである.鯨油を煮詰めた.
他にもありそうだが,これくらいしか見つけられなかった.
古い時代の話は,何をもって化学物質を新しく発見したとみなすのかの判断が難しい.本当に単離されていたかどうかも分からないし,組成や構造が分かっていたわけでもない.別々の物質だと思われていたものが後に同じ物質だと判明したりもしている.徐々に正体が判明していく発見の物語がそれぞれの物質にある感じだ.

有名な大事件は,1828年にヴェーラーが尿素の合成に成功したというものである.それ以前には有機化合物というのは生命の神秘的な力によってしか作り出せない物質だと広く信じられており,「生気論」と呼ばれていた.これが一気に崩れた感じだ.この驚きをきっかけに大きく研究が進んだ.学術的な興味もあっただろうが,それだけではない.染料や合成樹脂といったような巨大な商業的な需要があったのである.

生気論がどの程度強く信じられていたのか,ヴェーラーの発見は学術界にどれほどの衝撃をもたらしたのかというのが気になって調べていくと,どうも後世の誇張ではないのかという疑いが出てくる.
生気論が当たり前のように考えられていたことはどうやら事実のようである.ヴェーラー自身も実験結果に困惑しながらも生気論を否定できたとは考えておらず,積極的な主張はしなかった.生気論が徐々に薄れて来るのは分子構造がはっきりと分かってきた19世紀後半になってからである.
ところが20世紀になって新しい形の生気論が流行り始めた.「生命というのはやはり機械のようなものではなく,神秘的な力を持っているのではないか」という,今でも珍しくはない考えだ.それで論争が活発になり,その中で,ヴェーラーの発見にまでさかのぼって生気論を否定する論調が定着したものと思われる.つまり,当時はそれほど大事件だと思われてはいなかったのかもしれない.

私は有機化学というのはもっと現代的なものだと勝手に思い込んでいたが,調べてみて認識を改めることになった.このようにかなり古い時代に始まって,すぐに大きく発展したのである.どうやらミクロ的な理論の構築はそっちのけで進んだようである.

 この本は1903年に書かれた古典的な化学の教科書である。 生徒との対話形式で書かれている。 工業的応用としての有機化学が流行り過ぎて、 科学としての無機化学の理解が疎かになっているという嘆きが前書きに書かれていたりする。
 著者のオストワルドは1909年のノーベル化学賞の受賞者である。 マッハ主義を信奉した人物としても知られており、 観測したものしか受け入れるべきでないという観点から 原子論を否定する表現がこの本の中にもたびたび見られてそこも面白いところである。
 お暇つぶしにどうぞ。

次回に続く

一気に現代まで書き進むつもりであったが,思ったよりずっと長くなってしまったので,ここで一旦休憩しよう.なんと,周期表の登場はまだこの後のことだし,分子論どころかまだ原子論さえ受け入れられていないのである.このあと,化学は一体どう進むのか



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