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化学の歴史(中編)

19世紀がこんなに面白いとは思わなかった。
作成:2021/6/6
更新:2021/7/11

ソーダ灰が欲しい

化学の歴史をざっと振り返る旅の途中である.前回は19世紀の半ば辺りまで来たのだった.有機化学工業が突然に発展を始めたという話をしたのだが,無機化学工業も負けてはいなかった.その源流を見るために,もう一度18世紀の終わり頃にまで話を戻させてほしい.

古来より,人類の文明はアルカリを必要としていた.それは石鹸を作るため,衣類原料の脱脂や漂白のため,製紙のため,ガラス生産のためである.

木を燃やした後に残る灰を水に入れて,その上澄みを煮詰めれば炭酸カリウム(K_2CO _3)が得られる.そこに消石灰を混ぜれば水酸化カリウム(KOH)になり,これと油を混ぜれば石鹸になる.しかしヨーロッパでは木を燃やし過ぎて少なくなっていた.代わりに海藻を燃やした灰を使えば炭酸ナトリウム(Na_2CO _3)が得られて,同じ方法で水酸化ナトリウム(NaOH)が得られる.こちらを使った方が固い石鹸が作れるのだが,多くは採れなかった.

石鹼は消石灰を使わずに混ぜても作れるが,反応にとても時間が掛かるようである.消石灰を調達するのはそれほど難しくはない.貝殻あるいは石灰石を細かく砕いたものを焼いて,水をかけてやれば出来上がりだ.

そのような理由で,大量の「炭酸ナトリウム」が欲しかったのである.もちろん当時はまだ化学的な組成も構造も分かっていなかったので「炭酸ナトリウム」ではなく「ソーダ灰」と呼ばれていた.「ソーダ」という単語はアラビア語で「頭痛」「頭痛薬」を意味する言葉に由来している.

英語圏ではナトリウムのことを Sodium と呼んでいるが,これは「ソーダ」に由来している.またカリウムは英語では Potassium と呼ばれているが,これは pot-ash,つまり壺の中の灰を意味している.

「アルカリ」という単語はアラビア語で「植物の灰」を意味している.炭酸カリウムも炭酸ナトリウムもどちらも区別せずにそう呼ばれていたようである.後にカリウムの語源にもなっている.現在のアルカリの定義とは全く違うので,混乱を招かないように今後は使うのはやめることにしようと思う.

このソーダ灰不足をどう補っていたかというと,樹木が豊富だった北欧,北米,ロシアから輸入していたのだ.

どんどん木を燃やせ地上から木を燃やし尽くせう~ん,人類,恐ろしいな.科学が発達する前の時代に戻って自然と共存する暮らしをしましょうよ,という優しさに溢れる話を聞いたときにはこの話を思い出していただきたい.

要修正:この節には色々と問題がある.次の節のソーダ灰の生産の話につなげようとしてかなり強引になってしまっている.「ソーダ灰不足」と言いながら「木の灰」を輸入する話になっていたりして両者を区別できていない.木を燃やしたときに得られる灰よりも海藻を燃やして得られる「ソーダ灰」の方が需要があったかのような憶測も入ってしまっている.ひょっとするとソーダ灰で作られる固形石鹸よりも木を燃やした灰で作られる液体石鹼の方が需要があったかもしれないが調査しないで書いている.日本では固形石鹼が主流だが海外ではそうでもないし,さらに言えば日本で石鹸を使うようになったのはごく最近のことである.

石鹸を手作りした経験があると,自前で木を燃やして用意する KOH の方が,購入してくる NaOH より弱い気がしてしまうことが多いが,実際の強さは逆である.これは作り方が悪いせいで濃度があまり上げられないことだとか,固い石鹸が得られないことからの勝手な思い込みであろう.そういう感想を書いたブログはよくあるし,私もそう思い込んでしまっていた.


ルブラン法

周辺国の政情などによって資源不足に困ったフランスは1780年前後(文献によってばらつきあり)に海の塩からソーダ灰を作る方法を公募した.なぜ化学的な組成も分かっていない時代に塩から作れると思ったのかおそらく塩酸とソーダ灰を混ぜると塩水になることからの発想だろう.硫酸と塩を混ぜたときに塩化水素(海酸気)が発生することは錬金術でも知られていたし,1772年にはプリーストリーが純粋な塩化水素を得ることにも成功していた.この塩化水素を水に溶かしたものが塩酸で,当時は錬金術的に「塩精」と呼ばれていた.そんな時代である.

さらに詳しく調べてみると,どうやら1736年には既に塩の基本成分とソーダ灰の基本成分が同じであるということが植物学者デュアメルによって証明されていたらしい.

その公募に応える形で1791年に特許を得て登場したのが「ルブラン法」と呼ばれる製法である.

海水と硫酸を混ぜてソルトケーキ(硫酸ナトリウム)を作り,それに石炭(要するに炭素)と石灰石(炭酸カルシウム)を混ぜて焼けば出来上がりだ.残った黒い灰に含まれる成分のうち,水に溶けるのはソーダ灰だけなので,分離できる.その水を蒸発させればソーダ灰だけを取り出せることになる.

この方法でヨーロッパの各地に大工場が作られ,大量生産が行われた.そして大公害が引き起こされた

ソルトケーキを作るときに出る塩化水素は工場の煙突から大気中にそのまま捨てられた.空気中の水分と反応して塩酸になり,そのせいで周辺の木や作物も枯れるし,人間の呼吸器もやられた.最後に分離されて取り出された黒い灰は硫化カルシウムだが,使い道がなかったのでそこらへんに放置した.これが卵の腐ったような悪臭をまき散らす,といった具合である.


ソルヴェイ法

こんな状況が50年以上も続いていたのだが,1863年になって画期的な方法が開発された.安い上に,公害がほとんど出ない反応の途中でアンモニアを使うが,後で100%リサイクルできるので減らないこれは「ソルヴェイ法」あるいは「アンモニア・ソーダ法」と呼ばれている.

簡単に説明すると次のような感じである.水に塩とアンモニアを溶かして,二酸化炭素を吹き込むと炭酸水素ナトリウム(NaHCO_3)が出来るので,これを加熱分解するだけで欲しかった炭酸ナトリウムが取り出せる

それだけ

あまりに単純すぎるので都合の悪いことを隠しているような気がするだろう.実は同時に塩化アンモニウムが発生する.しかしこれと消石灰を反応させれば気体のアンモニアと水と塩化カルシウムだけが出てくる.塩化カルシウムは当時使い道があったのかどうか分からないが,今は吸湿剤や融雪剤として使われているくらいにほとんど無害な物質である.水とアンモニアはリサイクルできる

では炭酸水素ナトリウムを加熱分解する過程では何か不都合なことは起きないだろうか水と二酸化炭素が出てくるのでこれらもリサイクルできる何だかソルヴェイ法のセールスマンにうまく騙されているような気分だ.

ああ,そういえばさっき消石灰と言ったな消石灰を調達しなくてはいけないではないか.しかしこれも問題ない.それは石灰石を焼いて水をかけるだけで作れるのである.焼いたときに二酸化炭素が出てくるが,これもリサイクルできる.

結局,全部の反応が理論通りに起こってくれれば,水も二酸化炭素もアンモニアも無補給で済む食塩と石灰石が炭酸ナトリウムと塩化カルシウムになるだけだという反応なのだ.

あとからちゃんと詳しく説明するが,化学反応はいつでも一方向にだけ進むわけではないし,完全に反応しきってしまうわけでもない.物が完全に燃え尽きるような化学反応の例ばかり見ていると,その点,誤解してしまいそうになる.そういうわけで,このソルヴェイ法も理論通りに反応が進むわけではない.それを工夫して効率を上げるのが工業的な腕の見せ所である.それでも非常に画期的な方法であることは感じてもらえるだろう.

まさに無敵この方法を開発した化学者のソルヴェイは若くして大富豪になった.彼は学校を建設し,科学の発展のために寄付をしまくった.物理学史にも名前が出てくるほどである.世界中の優秀な科学者を集めて何度も行われた「ソルヴェイ会議」は量子力学の発展史の中で特に有名である.

ソルヴェイの作った会社は現在も存続していて,ソルヴェイ会議もまだ3年おきくらいにずっと続いているようである.


周期表

これで有機化学工業と無機化学工業の状況を説明し終えた.19世紀の中頃はこんな状況である.工業的な要求から「反応速度論」についての理論が出始めているが,原子や分子の理解を欠いたままでは限界があった.

そんな時にようやく出てきたのが,メンデレーエフによる周期表である.1869年のことであった.周期表は現代の化学の教科書の最初に出てくるような話ではあるが,意外にも登場はこんなに遅いのである.意外とは言っても,元素がある程度出そろう必要があったわけだから,この時期に出てくるのは必然と言えば必然であろう.

彼は既に知られていた63種類の元素について,性質が似たものを並べて表にした.現在知られているようなカラフルな箱が並ぶような表ではなくて,かなりシンプルに並べてみただけの,文字だけで書かれた表である.しかも,縦と横が現在のものとは逆である.

まだ原子番号という概念がないから,原子量,つまり原子の相対的な重さだけが書かれている.原子量というのは 1 ずつ増えるという規則性はないから,元素を並べる順についてのおおよその目安を与えるだけである.例えばニッケルとコバルトは同じくらいの原子量である.それどころか原子番号の小さなコバルトの方が原子量が大きいのだ.

メンデレーエフの他にも似たような考えを述べた人はいた.元素を原子量の順に並べていくと,似たような性質を持つものが,たびたび繰り返されるように見えるよねぇ,といった感じだ.ところがメンデレーエフの考えのどこが飛び抜けて勝っていたかと言うと,敢えて空白を残して,「ここに当てはまる元素があるはずだ」と予言した点である.

発表した当時はほとんど反響はなかったのだが,そのわずか 6 年後に予言した通りの性質を持つ新元素ガリウムが見付かったために一気に評価が高まった.17年後にはもう一つの空白に当てはまるゲルマニウムも発見された.

私が周期表について初めて知ったのは子供の頃に読んだ学習マンガであって,そこでは中世の錬金術師のような雰囲気の学者が羊皮紙のような黄色がかった紙の上に現代的な周期表を描きつつ悩むようなイメージで描かれており,全く時代背景を誤って理解してしまったのであった.実際は近代的なロシアの学者が本に書いて出版したのである.

この時代には原子説か分子説かによって,何を原子量と考えるかという混乱がまだ少々残っていたという話を聞いたことがあるが,メンデレーエフの周期表を見る限り,そのような混乱や誤りはなさそうである.常温で気体であるような元素はそれほど多くないし,水素を基準として考えているからだろう.貴ガスはまだヘリウムしか見つかっていなかったし,ヘリウムも前年に見つかったばかりであって,メンデレーエフの周期表にも載っていない.

メンデレーエフの他にも周期表を提案した人が何人かいると聞いて調べてみたのだが,例えばニューランズという人は6年も前に発表していて,未発見元素の予言もしているし,8つごとに同じ性質を持つ元素が現れるとまで言い当てている.まだ貴ガスも発見されていないような状況なのにもかかわらずだ.ただ,これを「オクターブ則」と名付けて音楽理論と結び付けようとしたのが行き過ぎで,遷移元素についても無理やりな分類がしてあって評判が悪かったようだ.

要修正:ニューランズのオクターブ則について誤解してしまっていた.「ドレミファソラシ」は7音で,8番目で「ド」に戻るのだから,貴ガスを入れると話がおかしくなる.まだ貴ガスが発見されていなかったからこそこういう発想になったわけだ.


気体分子運動論

この頃になるとマクスウェルやボルツマンによる気体の分子運動論が発表され始める.マクスウェル分布が1860年で,ボルツマン方程式が1872年だ.

これらによってアヴォガドロの主張していた気体の体積と分子数との関係がようやく理論的にも根拠を持ち始めることになる.しかし彼らの理論も強い批判にさらされた.実際に観測もされない原子などというものを実在と考えるような理論は物理学者の間でも受け入れ難かったのである.

ボルツマンは反対派から激しく攻められ,議論に疲れ,鬱になり,自殺してしまった.何しろ自説を裏付ける実験的証拠が何もなくて,立場が非常に弱かったのである.

それがようやく認められるきっかけとなったのは 1905 年のアインシュタインの論文であった.それは有名な特殊相対性理論の論文と同じ年に書かれたものであるが,それとは全く別のもので,ブラウン運動を数学的に説明しており,実験で検証ができるという内容のものである.

ブラウン運動というのは,水の上に花粉をまくと花粉の中の細かい粉が出てきて,でたらめに激しく運動するというものである.顕微鏡で見る必要がある.牛乳の上に垂らすと背景が白くて観察しやすい.まるで生きているかのように見えるのだが,いつまでも続くところが不思議である.1828年に植物学者のブラウンによって発見されたのでそう呼ばれているが,なぜこんなことが起きるのかは謎のままだった.

今やその謎も解けた.これは,目に見えない原子の粒が,目に見える大きさの粉つぶにランダムに衝突して起こる現象として理解できる.

原子は実在する化学は実在する粒子の組み合わせの変化を扱う学問だということがようやく明らかになってきた.しかし20世紀が始まろうとしているこの段階で,原子の構造はまだ明らかになっていないのである.


化学平衡

20世紀の話の前にもう一つの重要な話を入れておこう.19世紀の中頃から,化学変化にともなって発生する熱量についての精密な測定が行われるようになり,物理学のエネルギーの考え方が化学変化の理解に影響を与え始めることになった.特に,熱力学との関係が無視できなくなってきた.

ギブズは熱力学の研究を推し進め,1875年に化学反応のエネルギーとエントロピーの関係を理論化した.化学反応はいつでも一方方向に起こるのではなく,自由エネルギーが等しくなる条件で平衡状態に達する.温度や圧力などを変化させればその条件が変わって,反応が逆方向に進んだり,途中で止まったりする.そのようなことが物理学的に理解できるようになったのだ.

とはいうものの,彼はこれをアメリカの論文誌に発表したため,長い間知られることがないままだった.1892年にドイツ語に翻訳されて紹介されることでようやく脚光を浴びたのである.

アマゾン書影 化学の博士号を持つ、博覧強記の天才SF作家アイザック・アシモフによる化学の歴史の読み物である。 かなり詳しくて面白い本である。
 私がこの本のことを知ったのはこの記事を書いて公開したあとのことなので、参考にして書いたわけではない。 もし読んだ後だったなら、こんな大雑把に化学史をまとめるだなんてことは申し訳なくてできなかっただろうと思う。


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